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2008年2月25日 (月)

ゴジラ 対 キングギドラ

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前回、ジョン・ロックの社会契約説についてお話した。

ロックの社会契約説はアメリカ合衆国を誕生させ、ヨーロッパではフランス革命を導いた。その後ロックの思想は世界中を席巻し、現在世界で民主主義を標榜する国々は、その憲法の中にロックの社会契約説を取り入れていないものはないと言っていいだろう。それほどロックの社会契約説は世界を変えたのである。

ところが、この社会契約説を最初に唱えたのはジョン・ロックではない。

彼よりも早く、十数年前に、すでに社会は人民が集まり契約によって成立したことを発見した人物がいたのである。

その人物とは、皆さんもご存知の、国家権力をリバイアサンと呼んだ、あのトーマス・ホッブズである。

ホッブズは、ロックと同様に自然人と自然状態からスタートして、社会ができるプロセスを考えたのであるが、ロックの描いた社会とはまったく異なった世界を造り出した。

ホッブズの社会契約説は民主主義の原理とはならなかったが、彼の社会契約説を知ることによって、現在の国際社会の問題点が浮き彫りになってくる。そこで本日は予定を変更して、ホッブズの考えた社会契約説をロックの社会契約説と対比しながらお話したいと思う。

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まず簡単にホッブズという人物を紹介しよう。

彼は1588年にイギリスで牧師の息子として生まれた。ロックより約40歳年長である。彼はロックより早くオックスフォード大学に進み、当時最高の哲学者であったフランシス・ベーコンのもとで学んだ。また学生時代にガリレオと親交があって、自然科学に興味を持ち、これがホッブズが社会を数学を解くように解明したいと考えたきっかけだった。

このことはロックが『ボイルの法則』で有名な科学者・ボイルに影響を受けて、社会を科学的に考えたいと思ったことと類似している。ホッブズとロックをもってして、社会学は社会科学となったのである。

それじゃ、ホッブズの社会契約説を見てみよう。

ホッブズは国家とは何かを解明するにあたり、彼も最初の人間はどのよう暮らしていたかを考えた。ロックとおなじ自然人から考え出したのである。ところがホッブズはロックほど最初の人間を抽象化しなかった。ホッブズが考えた自然人は原始時代に生きる人間である。彼らはジャングルの洞窟に群れをなして住んでいた。

そこに住む人間は知性持っている以外は他の動物と同じである。

動物にとってもっとも重要なことは何か。

それは生存するということである。

動物には生存本能が備わっている。動物は生き延びることのみに生きるといってもいいだろう。

動物が生存するためには、まず食料の確保が重要である。食べ物がなければ動物は生けていけない。だから、もし食料が限られた量しかないとすると、動物は血で血を洗うような闘争をする。

多くのねずみを一つのケージに入れて、食物を徐々に減らしていくと、まず若いねずみ同士が食物を求めて争いを始めるそうだ。だんだんとエスカレートしていって殺し合いを始める。

人間も同じである。

この時代に「お先にどうぞ」なんて遠慮していたら生き残れない。他人を押しのけてでも真っ先に食べ物を口に入れなければ死んでしまう。だからこのような状況では人間の知性なんてものは働かない。倫理や道徳といった善悪は二の次になる…そうホッブズは考えた。

ましてや、人間の場合には知能があるために、将来を予見する。

今日食べることができても、ひょっとしたら明日は食べられないかもしれない…。すると不安になって、明日の食料、明後日の食料というように確保しようとする。

ライオンのように、今日獲物にありつけたからといって満足しない。「明日は明日の風が吹く」という具合にいかないのが人間だ。

だから人間の欲望は無限大のように膨らんでいく。

その結果、どうなるか?

絶え間ない闘争と殺戮である。

ホッブズはこのことを、「万人の万人対する戦い」、「人間は人間に対してオオカミである」と表現した。このような状況においては、人間の人生は、孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、短いものにならざるを得ない。これがホッブズが考えた「自然状態」である。

この人々が欲望を満たすために互いに殺しあう内乱をホッブズはビヒモスと呼んだ。

ビヒモスとは聖書のヨブ記に出てくる恐ろしい怪物の名前である。ホッブズの考える自然状態はそれほど悲惨な状態であった。

やがてこの陰惨な自然状態を解消するために、人々は集まってお互いに暴力を振るうという権利を放棄する契約を結び社会を作ることにした。こうすればみんなが安心して暮らせる社会ができると思ったからだ。

ところがホッブズは人間は生来自己中心的で、ルールを作ったとしてもそれを守ることができないと考えた。いずれ誰かがそのルールを破ってしまう。そうすると緊張状態が崩れてまた内乱が起きてしまい、人々は殺し合いを再び始めてしまう。人間が作り上げた文明は破壊され、また原始時代にもどってしまう。

そこで人々は、人間社会を平和で安定したものにするためには、その契約のなかに絶対権力を持つ怪物、リバイアサンが必要だと感じたのである。

これが国家である。国家は絶対の権力を持ち、人々に強制的にルールを守らせる。守らない者がいれば国家権力がその者を逮捕し、処罰する。こうすることによって、文明が破壊される内乱の時代に逆戻りすることが防げるのである。

だからホッブズは、「文明破壊のビヒモスを止めることができるのは、リバイアサンしかいない」と考えた。

リバイアサンとはやはり聖書にでてくる無敵の怪物である。リバイアサンが強ければ、ビヒモスは恐れて姿を現さないだろうと、ホッブズは考えたのである。

碩学(せきがく・大学者のこと)、小室直樹博士は著書「日本人のための憲法言論」の中で、リバイアサンとビヒモスの関係を、ゴジラとキングギドラに例えて説明された。ゴジラも怖いけれど、キングギドラはもっと嫌でしょう。ゴジラにキングギドラを倒してもらうしかない、と述べられた。(小室先生も古いっすね~。せめてガメラ対ギャオスって言ってほしかった!)

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さて、ホッブズの社会契約説を述べたが、ロックの社会契約説とまったく違うことがおわかりになるだろうか。

ロックの社会契約説の復習も兼ねて、簡単に両者の論旨をもう一度まとめてみよう。

ロックの社会契約説では、社会ができる前の自然人は自由で平等であった。やがて勤勉な者と働かない者のあいだに貧富の差ができ、貧しい者は富める者を妬み、窃盗や強盗をするようになった。そこで人々は集まり、安心して暮らせる社会を作るために、人々の合意に基づいて政府を作った。だから国家の主権は国民にあり、国家の役割は人々の生命、財産および自由を守ることにある。また国家権力は肥大化し暴走する危険性があるので、人々は人民の代表を議会におくり、政府を監視しなければならない。もし、それでも国家権力が横暴を繰り返すようであれば、人々には契約を改廃する権利(抵抗権、革命権)がある。

ロックは、国家とは人民を守るためのものであり、それ以外の人民の生活や経済活動には干渉してはならない。政府の権限はできるだけ小さいほうが良いと考えた。

かたや、ホッブズは、自然状態とは闘争と殺戮の連続であり、人々はやがてお互いに暴力を振るわないという契約を結んだ。ところが人間は自己中心的な動物であるから、この契約は守られない。また悲惨な自然状態にもどってしまう。したがって人々は社会の中に絶対の権力を持つことに合意した。したがって国家の主権は国王にある。

ホッブズは、国家とは絶対の権力を持ち、人々に強制的にルールを守らせる存在であり、国家権力は強ければ強いほど良いと考えた。

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どうですか?驚いたでしょう。同じ自然人と自然状態からスタートして、社会は人々の合意によって作られたという以外は、両者の主張はまったく違ってしまったのである。

なぜ、これほどまでに両者の意見が分かれてしまったかというと、二つ理由がある。

ひとつは、ロックが考える人間とホッブズが考える人間の性質が異なるからである。

ホッブズは人間は利己的で、自己中心的に行動する。ルールを守ることはできない存在として考えた。ホッブズの理論は徹底した性悪説に基づいていた。人間は放っておくと悪いことばかりする。だから力ずくでもルールに従わせなければならない。

これに対し、ロックは人間には理性があり、約束はおおむね守られると考えた。ロックの思想は性善説に基づいていた。国家は若干のルール破りする人のみを逮捕して処罰すれば社会は安定する。だからむしろ国家権力が暴走することに気をつけたほうが良いと考えたのである。

もう一つの理由は、食物が有限かどうかということ。

ホッブズは食物の総量は限られていると考えた。だから将来を予測できる人間はその限られた食物を奪い合って殺しあうことになる。

ところが、ロックによると、人間には理性があり、他人を蹴落としてまで食物を確保することはない。たしかに自然の恵みだけに頼っていては、食物には限りがある。しかし、人間には知恵があり、もっと建設的である。

ロックは労働によって食物を増やすことができると言った。

自然界が与えてくれた小麦の種をすこし残しておき、森を切り開き、土を耕して畑をつくり、そこに種をまく。そうすることによって収穫期がくればもっと多くの小麦を得ることができる。だからロックは自然状態ではホッブズのような「人間は人間に対してオオカミ」になることはないと言った。

言われてみれば、皆さんは「な~んだ」って簡単に思われるかもしれない。

我々は現代社会に住んでいるので、ロックの話を聞いても驚かないのだ。

しかし、ロックの考えは当時としては画期的な考えだったのである。

労働によって食物を増やせるということは、別の言い方をすると、労働によって富は無限に増やすことができるということである。ところが、当時の常識では、富は有限であり、増やすことなどできないと思われていた。

そして富を生み出すのは土地である。

当時は誰でもそう思っていた。

だから中世の世界では、限られた土地をめぐって、争いがあちこちで起きていた。ホッブズのいう自然状態であったのである。

それに対して、ロックは労働によって富はいくらでも増える。土地にこだわらなくとも、衣服職人であればどんどん衣服を作ることによって、壷職人であれば壷をどんどん作ることによって、富を増やすことができる。働くことによって人間は豊かになれる。こうロックは言ったのである。

ロックは当時発生しつつあった資本主義に着目していた。

クリスチャンにとって金儲けは一抹の罪悪感があった。ロックは労働によって富を作り出すことは社会全体に貢献することであることを証明した。これによってお金儲けをすることの罪悪感が払拭されたのである。ロックの登場によって近代資本主義は理論的根拠を持つことができたということだ。だからロックは民主主義の父であり、資本主義の大恩人なのである。

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さて、その後の世界の歴史が証明するとおり、圧倒的に多くの人たちがロックの思想を信じたのである。ホッブズの「リバイアサン」は世界史を変えなかったが、ロックの「統治二論」は世界史を変えたのである。

だからホッブズの社会契約論は歴史の中に埋もれてしまうかに見えた。

ところが近年になり、ホッブズの社会契約論を理論的根拠にして、外交をおこなう集団が現れた。

新保守主義者(neo-conservatist)。いわゆるネオコンと呼ばれる人たちである。

ネオコンの代表的論客はロバート・ケイガンという人。この人はブッシュ大統領やラムズフェルド元国防長官らが師として仰ぐ人物である。

ロバート・ケイガンは、著書「楽園と力」の中で、ホッブズの社会契約論を取り上げ、国際社会において、リバイアサンになることこそがアメリカの役割であり、そのためには力を持たなければならないという。そして力の行使を畏れてはならない。ヨーロッパはその力の蓄積を怠ったがゆえに、結局アメリカに頼るしかなくなったのだ。ヨーロッパが国際機関の下で、「平和」というカント的世界に安住できるのは、アメリカがホッブズのいう「自然状態」に対処しているからだ、と。

読者の皆さんはどのように思われるだろうか?

アメリカはなんて傲慢な連中だと思う方も多いかもしれない。

でも、ケイガン氏の言うことも一理あるように思える。

ヨーロッパの例より、身近な例を挙げてみよう。

我々の日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した」とある。要するに日本国は周りの国々を信頼して、軍隊を持たず、日本の運命を周りの善良な国々に委ねますということだ。

日本を取り巻く国々とは、ロシア、中国、北朝鮮だ。

果たしてこれらの国々が、平和を愛する諸国民と考えて良いのだろうか?彼らの公正と信義を信頼したから、戦後60年間、日本は侵略されることもなく、平和を享受してこれたのであろうか?

もしそう思っている方がいたら、かなりのお人好しだ。

日本が戦後60年、これらの国々から侵略されずにこれたのは、

ひとえに、「日米安保条約」があったからである。

国家とは公正と信義で動くわけではない。

国家とは国益という欲望で行動するのである。

だから国際政治の世界は、ホッブズのいう自然状態にある。国家は国家に対してオオカミなのだ。

三匹のオオカミの目の前に、おいしそうなヒツジが一匹いても、オオカミたちが襲わなかったのは、ヒツジの後ろにいるアメリカというリバイアサンを怖れていたからだ。

我々日本人が戦後60年、平和を享受できたのは、アメリカというリバイアサンが存在していたからなのである。

護憲を唱える社民党や共産党の人たちは、安保条約に反対しているが、よほどのお人好しなんだろうな~って思うのはオジサンだけだろうか?

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国連があるから大丈夫って思っている人もいるかもしれないので、ちょっと国連の話もしておこう。

国連ときくと、ほとんどの日本人は多くの国が集まって、民主的に物事を解決していく平和的な国際機関と思っているのではないだろうか。

だから、参院選では日米同盟の強化を前面に打ち出した小泉政権や安倍政権より、国連中心主義を訴えた民主党に多くの票が投じられたのかもしれない。

でも国連ってそんなに頼りになる国際機関なのだろうか?

皆さんは国連とは第二次世界大戦の戦勝国が集まってできた軍事同盟ということをご存知か?

国際連合とは、戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国)が、強大な敵国を封じ込めるために作った軍事同盟なのである。

その強大な敵国とは、日本、ドイツ、イタリアだ。

特に日本とドイツはあまりにも強かった。ドイツは軍事大国であったイギリス、フランス、ソ連の3国と同時に戦っても、連戦連勝だった。日本は東南アジアで世界最強の海軍を持っていると思われていたイギリスに海上戦で連勝し、またアメリカをもってして、「二度と日本と戦いたくない…」と、恐怖させるほど強かった。

これらの恐ろしい国を封じ込めるために作られた軍事同盟が国際連合なのである。

国連憲章にはいまでも敵国条項というのがあって、この3国には国連決議を経ずに、いつでも単独で軍事制裁を加えることができるようになっている。理論的にはこの敵国条項を理由に、国連加盟国は任意に日本を攻撃することができるのである。

この戦勝国の軍事同盟に多くの国々が相乗りしたのが現在の国際連合である。

だから戦勝5カ国は常任理事国と呼ばれ、強い権限が与えられているのだ。

何かの問題解決のために国連決議が行われても、これらの常任理事国の一カ国でも拒否権を発動すれば、それらの決議に基づく行動は起こせない。それほど常任理事国には強い権限が与えられている。

ところがこの常任理事国の拒否権がわざわいして、国際連合は機能していないのが現状だ。

終戦直後は戦勝5カ国の利害が一致していたので、かつては国連決議がスムーズに行われたが、冷戦が起きてからはなにも重要な決定が行われなくなってしまった。

もし北朝鮮が追い詰められて日本に軍事侵攻したとしても、国連が平和維持軍を投入して日本を救いに来てくれる可能性はほとんどゼロだ。なぜかというと中国やロシアは北朝鮮を弟のように思っており、平和維持軍を日本におくる国連決議が行われても、いずれかの国が拒否権を発動する。

核開発を進めるイランに経済制裁をかける動議を出しても、ロシアは核の技術供与をしているので、これまたロシアの拒否権発動でオジャン。

常任理事国のそれぞれの国益が優先され、ほとんど重要なことが決定できず、まとまりのないのが国際連合だ。国連中心主義なんてチャンチャラおかしい。

読者の皆さんは、そもそも中国やロシアがいまだに常任理事国として強い発言権があることを不公正に思わないだろうか?

国連維持費を加盟国が分担しているが、負担額はそれぞれの国の経済事情に合わせて、異なっている。日本は国連維持費をもっとも負担している国だ。アメリカを除く、ロシア、中国、イギリス、フランスの四カ国の負担金を合わせても、日本の方が多く負担しているのである。またODA援助はアメリカについで日本は第二位の援助国だ。中国などはいまだに日本からODA援助を受けている。

ここで皆さん、アルビン・トフラー氏の「パワーシフト」を思い出してほしい。

権力とは、時代の変遷とともに、その重要性が、暴力→財力→知力 という具合に移行していく。

はっきり言って、ロシア、中国、フランスは経済力も技術力もない二流または三流の国家である。本来、権力を持っていてはいけない国なのだ。

だから、ロシア、中国、フランスは国際連合の常任理事国からはずれ、財力と知力を持った日本が常任理事国入りするべきなのである。

何年か前に日本の常任理事国入りを認めるかどうかの加盟国の投票が行われたが、ロシアと中国の妨害で認められなかった。中国などは日本からのODAをアフリカの国々へ回す約束をして、彼らに日本の常任理事国入りに反対票を投ずるように運動までしていたのである。こんなバカなことがあるだろうか。

その時点で日本は国際連合の脱退を表明するべきだったと思う。

ちょっといいすぎでしょうか…。

でも、オジサンよりもっとすごいことを考えていた日本の政治家がいたのである。

その政治家は、将来、アメリカといっしょに、もはやシーラカンスとなってしまった国連をさっさと脱退し、新しい「第二国連」を作ろうと考えていた。アメリカといっしょに国連を脱退し、あたらしい第二国連を作って、「新しい国連に入る国、この指と~まれ!」って声をかけたら、130カ国は集まるだろうと計算もしていた。世界一の経済大国と世界第二位の経済大国が組めば、国連発足当初と同様に、当然、寄らば大樹の陰って感じで、多くの国々が加盟するだろう。

既成概念に捕らわれない自由な発想をする政治家。すごいと思わないか。

この政治家とは誰でしょうか。

前総理の安倍晋三氏である。

安倍氏は国家の自立をもっとも重要視した政治家であった。

この第二国連構想は彼の政治公約にしていなかったが、彼の腹のなかで将来実行するつもりだったようだ。日下公人さんという評論家が、安倍氏の官房長官時代に、外交問題研究会で安倍氏と会話したときに話しを聞いたそうだ。日下氏は安倍晋三氏の卓越した外交センスの良さに感心していた。

彼が最後の最後まで日米同盟にこだわっていた理由がわかるでしょう。

残念ながら、マスコミは安倍氏の政治的な業績を評価せず、彼の「アラ」ばかりを報道して、国民を誘導し、先の参院選で安倍氏を殺してしまった。まことに残念なことだった。

今日はこの辺にしておきましょうか?

これ以上書いたら、「オジサンはやっぱり右翼だったんだ!」って思われちゃうから。

えっ、もう思っているって。困った…(汗)。

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あとがき)

う~ん、だんだんと過激になってきちゃいましたね。反省しています。

次回は前回予告した歴史教育についてひとこと言わせて下さい。あまり過激なことを言わないようにしますから、見捨てずにまた読んでね。じゃ、ばいばい。

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参考文献

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日本人のための憲法言論

パワーシフト

統治論

美しい国へ

戦え、日本人

アメリカにたよらなくても大丈夫な日本へ

中国こそ日本に謝罪するべき9つの理由

捏造された昭和史

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