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2007年10月21日 (日)

歯止め

「大統領の日」というのをご存知だろうか?

アメリカ合衆国では、2月がワシントンとリンカーンの誕生月であることから、2月の第三月曜日は「大統領の日」として国民の祝日とし、この偉大な二人の大統領への感謝を表す日としている。これほどまでに尊敬されている初代大統領のワシントンと第16代大統領のリンカーンであるが、なぜかこの二人の偉大な業績を理解している日本人は少ない。

前回の記事でジョージ・ワシントンを取り上げたので、今回はリンカーンについて語ろう。

第16代大統領エイブラハム・リンカンーンというと、ほとんどの日本人はこう思う。

奴隷を解放した人道主義者。

ところが多くのアメリカ国民はリンカーンの偉大な業績をそのように見ていないのである。その証拠に、リンカーンの碑はアメリカのいたるところに建てられているが、そこに書かれているリンカンーンの偉大な業績の中には奴隷解放を刻んであるものはほとんどないと言っていい。

多くのリンカーンの碑にはこのように書かれている。

アメリカ合衆国の分裂を防ぎ、国家を統一した偉大な大統領。

こう書いてあるからといって、「なっるほど!だからリンカーンは偉大だったんだ!」って思える人はほとんどいないと思う。

「アメリカ合衆国の分裂を防ぎ」っていう文章はなんとなくわかると思う。ようするに南北戦争に勝って、南部の独立を阻止したということかな?ってことはわかると思う。

ところが、「国家を統一した」ってどういうことだろうか?

おそらく多くの読者はピンとこないと思う。なぜかというと、われわれ日本人は単一民族であり、単一国家に生まれてずっと住んできた。だからどうしても国家というのは空気のようにいつでもそこにあり、永久不滅のもののように思い込んでいるからだ。国家が消滅するなんて思いもよらない。

ところが、他民族国家または連邦制国家というのは案外もろいものなのである。

本日はまず他民族国家や連邦制国家は崩壊する可能性があるというお話しからしたいと思う。

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もし誰かがこう言ったら皆さんはどう思うだろか?

アメリカ合衆国が崩壊する。

世界をリードする超大国が崩壊する…。おそらくそんなことを信じる読者はほとんどいないだろう。そして多くの読者が、「こいつ頭がおかしいんじゃないか?」って思われるかもしれない。

それでは違う言い方をしてみよう。

ソビエト連邦は崩壊する。

これまた読者の皆さんは、「こいつ頭が悪いんじゃないの?ソビエト連邦なんてとっくに崩壊しちゃったじゃない。」って言うと思う。

ところが、この言葉を今から25年前の1980年に誰かが言ったとしたら、読者の皆さんはどのように思われるだろか? えっ、まだ生まれていないって! じゃ、ちょっと想像してほしい。

じつは今から25年以上前に「ソビエト連邦は崩壊する」と言った人物がいたのである。

小室直樹さんという数学者だ。

いまでこそ、ソビエト連邦は崩壊したということを誰でも知っているから、「ソビエト連邦崩壊」という言葉には驚かない。ところが、小室直樹氏が1980年に「ソビエト帝国の崩壊」という本を上梓(じょうし)した時、多くの人たちは驚いたのである。

そしてほとんどの人たちが彼を頭のおかしい学者と思った。

なぜかというと、ソビエト連邦はアメリカに匹敵するほどの超大国であった。そんな超大国が崩壊するなんてだれも想像がつかなかったからだ。

それまでソビエト連邦は宇宙開発を含む工業技術や農業技術、そしてオリンピックなどのスポーツの分野で超大国のアメリカと競っていた。またその前年の1979年には、ソビエト連邦はアフガニスタンに侵攻し、世界中にソビエト連邦は強大で恐ろしい国と思わせていた。ソビエト連邦が崩壊するなんてとんでもない!逆にソビエト連邦に民主主義国家が食われて、民主主義の崩壊になってしまう!

…てなわけで、この恐ろしいソビエト連邦に対抗するため、日本政府は自衛隊を北海道に集結し、アメリカ合衆国のレーガン大統領は国家プロジェクトとも言える「スターウォーズ計画」という防衛構想をぶち上げていた。

そんなソビエト連邦脅威論が唱えられている中で、小室直樹氏ただ一人が冷静にソビエト連邦内の経済政策の行き詰まりと民族運動の高まりに着目していた。そして彼はいずれソビエト連邦はこれらの問題により、連邦内部から崩壊していくと予測した。だから小室直樹氏は、「レーガンも中曽根もなにもしないでじっと座って待っていれば良い」と、その著書の中で主張したのである。

小室直樹氏が「ソビエト帝国の崩壊」を世に出してからちょうど10年後、果たして氏の予測は現実のものとなった。

1991年12月25日、一夜にしてソビエト連邦は崩壊したのである。

ソビエト社会主義共和国連邦は1922年にレーニンらによって設立された世界初の社会主義国家で、ロシア、ウクライナ、タジキスタンといった17の加盟国で構成された連邦制国家であった。それぞれの加盟国は独自の民族と文化を持っていたのであるが、1970年代からの経済の行き詰まりから、各地で民族の独立の気運が高まりつつあった。

ソビエト連邦は中央集権国家で、ほんのわずかな共産党員で運営されるクレムリンの政治局がすべての権力を握っていた。設立当初ではレーニンにかわり政権をとったスターリンが独裁政治をおこなった。自分と意見の異なるものは粛清につぐ粛清。殺すは殺すは、殺されたものの数は数百万人規模になってしまった。まさに恐怖政治であった。だれも本当に思っていることを発言できない雰囲気が議会のなかに出来上がってしまった。

そしてスターリン亡き後も、クレムリンの力による統治は続いた。そうしたところ、経済政策や民族としての意見の違いからソビエト連邦から脱退しいと思っている加盟国があったとしても、連邦を脱退したいと言い出す加盟国はいなくなってしまった。

つまりそれまでソビエト連邦の崩壊を防ぎ、国家として繋ぎとめてきたのは、暴力による威嚇と恐怖であったのである。

仲間から抜けようとするヤツに、体の大きいガキ大将がゲンコツを振り上げてにらみつけているという感じだろうか。抜け出そうとする者には容赦なくゲンコツが飛んでくる。だれも怖くって「ぼく、グループから抜けた~い」と言えないのだ。

ところが1980年代の半ばにこの流れが変わってきた。ゴルバチョフの登場だった。ゴルバチョフは連邦崩壊の防止装置を見誤っていた。ゴルバチョフはソビエト連邦が暴力の威嚇と恐怖によって結合していることを忘れてしまったのである。

ゴルバチョフは連邦内の不満を解消するために、ペレストロイカ(改革)とグラスノチ(情報開示)政策をすすめ、中央政府の締め付けを緩めてしまったのである。

暴力による威嚇と恐怖という連邦崩壊の歯止めをはずした結果どうなったか。

急激な各地の民族運動が起こり、アレヨアレヨと言っているうちに、ソビエト連邦が崩壊してしまったのである。「いち抜~けた!」ってウクライナもウズベクモ、み~んなソビエト連邦から脱退しちゃったのである。ゴルバチョフは頭を抱えてしまったが、後悔先立たず。ソビエト連邦に加盟していた国々は、我先にみんな脱退して独立宣言をしてしまった。ゴルバチョフ一人がソビエト連邦議会に残されてしまったのである。

1991年12月25日ゴルバチョフはソビエト連邦の大統領を辞任し、ソビエト連邦は世界から突如として消滅してしまったというわけである。

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このように連邦制国家と言うのは案外脆(もろ)いものなのである。

連邦崩壊の歯止めが取れてしまうと、あっと言う間に消滅してしまう。

同じ連邦制を採用しているアメリカ合衆国も独立当初は同じであった。

アメリカ合衆国は現在50の州から構成されている。日本人にはこの「州」という概念がよく理解できていないかもしれない。州というと、「な~んとなく、県よりも大きい単位かな?」って思っている人もいるかもしれない。

アメリカ合衆国の正式名称はご存知のように、 United States of America と言う。つまりStates(州)の集合体がアメリカという国であるが、このStatesとは、州というよりも、日本語の邦(くに)に近い意味である。

つまりアメリカ合衆国は小国家の集まりなのである。

政治の形態は異なるが、国家の構成はソビエト連邦と同じなのである。

ジョージ・ワシントンと建国の父たちが合衆国憲法を作るときにもっとも注意を払ったのは、前回のブログでも述べたが、将来の独裁者の出現をいかに防ぐかということであった。そのため、時の権力者が暴走しないように、建国の父たちは憲法のなかでいろいろなチェック・アンド・バランスという工夫を施(ほどこ)した。代表的なものとして、権力を司法、行政、立法に分散する三権分立が挙げられる。ジョージ・ワシントンたちは世界で初めて、この三権分立の思想を憲法に組み込んだが、それ以外にもうひとつ大きなチェック・アンド・バランスを組み込んだ。それがこの州(States)という考え方である。

彼らはそれぞれの州に、主権を持たせ一つの国家として認めた。そしてそれらの州が主権の一部を連邦政府に委譲するという契約形態を憲法に盛り込んだのである。こうすることによって州政府と中央政府がお互いにけん制しあい、権力が暴走することを防ごうとしたのである。

ところがここでひとつの大きな矛盾が浮かび上がった。

それは連邦政府の権力を弱め、各州に主権を認めることにより、将来それらの州の中から連邦制を脱退する州が出てくるかもしれないという可能性であった。

「ボク、いち抜~けた!」って言う州が出てきたときにどうするか?

一つや二つの州であれば、アメリカ連邦政府軍の力でねじ伏せて、連邦からの脱退を防ぐことができるだろう。ところがゴルバチョフの時のように、いっせいに多くの州が脱退表明をしたらどうするか?連邦政府自体が消滅してしまうかもしれない…。いかに連邦崩壊を防ぐか。

偉大なジョージ・ワシントンや建国の父たちは必死で考えたが、将来起こるかもしれない連邦制崩壊の歯止めを考え出すことはできなかったのである。

そして彼らの危惧したことは、時間が経つにつれて現実のものとなっていった。

それは北部州と南部州の利害対立という形で現れてきたのである。

18世紀にイギリスで始まった産業革命はアメリカに移り、北部の州では工業生産が盛んになり、急速に資本主義社会になりつつあった。それにともなって奴隷制が足枷(あしかせ)となっていったのである。資本主義社会ではいかに商品に付加価値をつけるかということが企業の存続を左右する重要な問題になる。そこで必要になるのが「質」の高い労働力である。奴隷のようにこれまで言われたことを忠実に行う単純労働力から、自分で考えて工夫をこらし製品の価値を高めていくことが出来る創造的労働力が求められ始めたのである。

奴隷というとタダで働く労働者と考えがちであるが、奴隷といえどもコストはかかる。

とうぜん奴隷にも衣食住が必要で、それらの費用は企業家たちが支払わなくてはならない。そのため、資本主義社会になりつつあった北部の州では、奴隷を抱え続けることはコスト的に合わなくなってしまったのである。

したがって奴隷は北部において余剰人員になってしまたので、どこかの時点で奴隷を解放し、労働市場の再構築をする必要に迫られていたのである。

また北部の州では発達したばかりのアメリカの工業をイギリスのような先進国から守るための保護貿易を連邦政府に要求していた。

それとは逆に、南部の州では綿花の輸出が中心で、依然として奴隷のような単純労働力を必要としており、かつ自由貿易政策が必要であった。

これらの北部州と南部州の利害の対立が徐々に大きくなっていったのである。

最初の連邦離脱の危機は1832年に起こった。

北部の州に有利な保護関税法案が議会で通過し、サウスカロライナ州はこれを不服として連邦からの脱退をほのめかしたのである。

時の大統領は第7代、アンドリュー・ジャクソンであった。

おそらく彼の名前は日本人にあまり馴染みがないかもしれないが、第7代大統領、アンドリュー・ジャクソンはアメリカ国民ならだれでも知っている偉大な大統領の一人である。彼は躊躇することなくサウスカロライナに軍隊を送り込み、強い連邦政府の意思を示しつつ、サウスカロライナ州政府と交渉を始めた。そして若干の関税品目の妥協をすることによってサウスカロライナ州の連邦離脱を未然に防いだのである。

しかしその後も南部と北部の利害対立はじょじょに連邦離脱の気運を高めていった。

アメリカ国民にとって不運だったのは、第七代大統領アンドリュー・ジャクソン以降、第16代大統領のリンカーンが登場するまで小物の大統領が続いてしまったということであった(第11代・ジェームズ・ポークを除く)。ジャクソンのあとの大統領たちは、未然に連邦制崩壊を防ぐための方策を真剣に考えず、南部と北部の対立の激化と連邦政府離れの気運を見てみぬふりをしつづけた。そしてこのうように問題を先送りにしていったことが、のちに大きなツケを払うことになろうとは誰も予想しなかったのである。

第15代大統領のジェームズ・ブキャナンの時代になって、この奴隷制廃止を含む南部と北部の利害対立はついに一国の存亡を問う大問題に発展してしまった。ジェームズ・ブキャナンは優柔不断な男だった。サウスカロライナが軍事行動を起こし始めたにもかかわらずなにもしなかったのである。

そして、1860年の秋、次期大統領が北部出身のリンカーンに決定すると、サウスカロライナ州を中心とする南部7州はデイヴィス・ジェファーソンを大統領に立て、連邦からの離脱と独立を宣言したのである。

アメリカ合衆国の崩壊の危機…。ついに建国の父たちが恐れていたことがおこったのである。

翌年リンカーンが第16代の合衆国大統領になると、独立を思い止まるように南部連合と交渉を始めた。

もし南部連合が独立を思い止まるならば、奴隷制は存続しても良いと譲歩までした。リンカーンにとって奴隷制廃止よりも国家の分裂を阻止することが最大の重要課題であったのである。

しかし、粘り強い交渉をしたにもかかわらず、南部連合は独立の意思を変えることはなかったので、リンカーンは武力をもって阻止することを決意した。

1861年、南北戦争の口火はきって落とされた。

最初、北部軍は南北戦争に劣勢に立たされていた。

サウスカロライナが軍事行動を起こしたときに、ジェームズ・ブキャナンは適切な対抗手段を取らなかったため、主要な要塞などが南部連合の手に渡ってしまっていたからだ。また南部州は綿の輸出でイギリスやフランスと密接な関係を持っていたので、ヨーロッパの大国が南部連合を支援する可能性があった。もし軍事大国のイギリスやフランスが参戦したら、北部軍はひとたまりもなかった。

そこでリンカーンは大きな手を打った。

南北戦争最中(さなか)の「奴隷解放宣言」である。

リンカーンは「奴隷解放」をこの戦争の大義名分としたのである。

これにより、この戦争は北部の正義の戦争となった。

折からの人権問題の高まりとともに、国際世論をリンカーンは味方につけることに成功した。イギリスやフランスはもはや手が出せなくなってしまったのである。また北部軍は首都ワシントンが陥落寸前まで追い込まれていたが、「正義は我が方にあり!」ということで士気が高まり、徐々に攻勢にでるようになってきた。

その後戦争は一進一退の攻防をくりかえしたが、リンカーンの外交センスの差が最後に北部に勝利をもたらした。

1865年リッチモンドが陥落。南部連合のリー将軍が降服して戦争は終結した。

その結果はどうなったかというと、北軍の勝利で終わったのだけれど、62万人もの犠牲者を出すという悲惨なことになってしまった。

どこの国にも「あの戦争…」という人々の心に鮮明に焼き付いている悲惨な戦争がある。

日本人が「あの戦争…」と聞けば、太平洋戦争を思い出すだろう。韓国人であれば朝鮮動乱、中国人であれば日中戦争。そしてアメリカ国民の場合、「あの戦争…」というのは、太平洋戦争ではない。この南北戦争こそがアメリカ国民の「あの戦争…」なのである。

アメリカ合衆国の歴史上でこれほど多くの犠牲者を出した戦争は後にも先にもない。

かなり今回も長々と書いてしまったので、読者の皆さんもそろそろ疲れてきているかもしれないが、もうちょっとお付き合い願いたい。ここまで来るのにいろいろ書いたが、リンカーンについてこれを言いたかったからなのである。

南北戦争が終局を迎えたとき、リンカーンは奇跡を起こしたのである。

戦争には、当たり前のことであるが、勝者と敗者が生まれる。

その戦争が大きな被害を出せば出すほど、勝者から敗者へ対する風当たりは強くなる。多額の賠償や戦争責任を負わされるものである。

そして通常、なんらかの遺恨というものが残るのが普通である。

「あの南部の野郎が独立さえしなけりゃ、こんなことにならなかったんだ!」っていう感情が起きて当たり前だと思うのである。この戦争中にも確かにそのような互いの相手に対する憎悪があった。

ところが戦争が終わったあとにはそのような感情が残らなかったのである。

戦争終了時にアメリカ国民の意識が突如として変質したからである。

きっかけはリンカーンがおこなったゲティスバーグの演説だった。

南北戦争の激戦地、ゲティスバーグで行われた戦没者追悼の式典で、リンカーンはアメリカ国民にむかってこのように言った。

「我々には大きな責務がある。この戦争で多くの人々が命を捧(ささ)げて守ったこの人民の人民による人民のための政府(国家)をこの地上から消してはならない。」

わずか2分足らずの短いものであったが、「人民の人民による人民のための」という言葉は人々の心に響いた。

そして、初めてアメリカ国民としての同胞意識が芽生えたのである。

それまで、人々の帰属意識は各州にあった。「自分はバージニア州人である。」、「自分はサウスカロライナ州人である」というように。ところがこのゲティスバーグの演説以降、「我々は等しくアメリカ国民の一員である」という国民意識(ナショナリズム)が生まれたのである。

リンカーンのゲティスバーグのスピーチ以降、人々は南北戦争の犠牲を払うことによりアメリカ合衆国は一つにまとまったと考えるようになった。

キリスト教では、イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)になり血を流すことによって、人類は罪を免れ生まれ変わったと考えられている。それと同じように、アメリカという国も南北戦争で多くの兵士たちが血を流すことによって国家が生まれ変わったという感覚を持ったのである。

だからこの戦争で南部の人たちが迫害を受けることもなかった。

南部連合の最高責任者であったデイヴィス・ジェファーソンは国家反逆罪で処刑されることもなく、故郷へもどり81歳の天寿を全うしている。

こんなことはリンカーンでしかできなかった。

偉大な第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンであれば、同様に国家の分裂を防げたろう。しかし、遺恨を残さず、しかも国民の意識をひとつにするなんて奇跡は起こせなかったはずだ。その時は武力によって分裂を防げても、将来にまた同じ崩壊の危機が襲ってきたに違いない。

リンカーンのみがこの奇跡を起こしえたのである。

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アメリカでは今でも毎年このゲティスバーグで南北戦争で亡くなった兵士たちの追悼が行われ、彼らは決して分裂してはならないと気持ち新たに決意するのである。

また、これはあまり日本人には知られていないことかもしれないが、アメリカではほとんどの子供たちが幼稚園に通う年齢になると、このリンカーンのゲティスバーグの演説を丸暗記させられ、スラスラと暗唱できるまで練習させられるのである。

「そんな小さな子供たちにリンカーンの演説の意味がわかるの?」って、読者の皆さんは思われることだろう。

もちろん、幼稚園児にリンカーンの演説の意味はわからない。それで良いのである。

皆さんも経験があると思うが、小さいときに覚えた唱歌というのは一生忘れない。「赤とんぼ」や「ふるさと」なんて歌の歌詞やメロディーはいつまでも心に残るものだ。

彼らもリンカーンのこのゲティスバーグの名調子の演説は一生忘れない。

そしてかれらが成長していくにしたがって、それらの意味が徐々にわかってくるのである。するとどうなるか。リンカーンのスピーチが体中をめぐり、そしていつしか血となり肉となって内在化されていくのである。

そうすると、頭で理解する以上に、国家の大切さや同胞愛、愛国心と言った国民意識を体得するというレベルまで達することができるのである。

このようにして、アメリカ国民はリンカーンの教えを次の世代へと伝えて、国家分裂の歯止めとしているのである。

ソビエト連邦はスターリンの粛清という恐怖で連邦の崩壊を防いできたが、アメリカ合衆国はリンカーンの国民意識(同胞意識)で連邦崩壊を防いでいるのである。

ソビエト連邦は70年で消滅したが、アメリカ合衆国は国民がリンカーンを忘れない限り存続するだろう。

ジョージ・ワシントンと同様に、死してなおエイブラハム・リンカーンはアメリカを守り続けているのである。リンカーンがワシントンと偉大さにおいて双璧であることがおわかりになったかと思う。

あとがき)

長々とした文章を最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

本日登場したワシントンとリンカーン以外の大統領たちについて補足しますね。

第15代大統領のジェームズ・ブキャナンは歴代の大統領で唯一独身を貫いた人です。彼は若い頃に愛する女性がいたのですが病死してしまいました。そして彼女のために一生涯を未婚で通したんだそうです。心のやさしい平和主義者だったんですね。彼の最大の不幸は彼の後の大統領があまりにも偉大すぎたということでしょうか。彼のこころの優しさが、リンカーンと対比させられて、後世の歴史家から優柔不断な男という評価を受けてしまったんですね。

なお、ジェームズ・ブキャナンは日本人が初めて会った大統領でもあります。明治新政府になって日本国は何度かアメリカへ使節団を送りましたが、独立国家として見なされていなかった日本人はなかなかアメリカの大統領に接見できなかったのです。ようやく認められて会うことが許された大統領がブキャナンでした。

第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンはアメリカ国民なら誰でも知っている偉大な大統領のひとりです。

丸太小屋からホワイトハウスへというとリンカーンですが、ジャクソンは戦災孤児のド貧乏の境遇からホワイトハウスへ駆け上った人です。彼は将軍時代に超大国のイギリスと戦い(米英戦争)、完全勝利を勝ち取った人ですが、政治家としても非常に有能でした。

彼は大統領拒否権を使って議会と対立した初めての大統領で、ジャクソニアン・デモクラシーという現在のアメリカ議会制度を作った人と言われています。また、「官僚はいずれ腐敗する、そして官僚の腐敗は国家の衰退につながる」という信念により、猟官制度というシステムを導入しました。これは大統領が交代するたびに、公務員の主要ポストを総取替えするもので、広く一般国民に公務員の職を開放しました。この制度は現在に至るまでアメリカで採用されています。だからアメリカでは日本のように独立行政法人などというわけのわからない会社を作って、官僚が代々天下りするなんて不公平が起きないんです。

このアンドリュー・ジャクソンは政治家として有能でしたが、子供のころにまともな教育を受けられなかったため、ちょっと読み書きが不自由だったようです。有名なエピソードとしてこんなものがあります。

ジャクソンに提出された書類に彼は「承認」という意味で、That is all correct と書いたつもりが、スペルミスをおかして、That is oll korrect と書いてしまったんです。後世の人々はこれを茶化して、了承のいみで That's OK と言うようになったんです。これが皆さんが会話でよく使う That's OK の語源となりました。

まだまだご紹介したいアメリカ大統領がいますが、このくらいにしておきますね。

宗教ブログと言っていながらなかなか宗教の話をしませんが、次回もう一回宗教とあまり関係ない話をさせてください。

以前、バリバリの原理主義者・ブッシュ大統領が避妊法と同性愛者の婚姻に反対していると書きました。もうひとつブッシュさんが反対しているものに銃規制があります。毎年なんどとなく起こる銃乱射事件。そのたびにアメリカ国内で銃規制の声が上がるのですが、いつのまにかポッシャってしまうんです。「アメリカ人って野蛮だな」って思っている方も多いと思います。でもこれは実は民主主義の根幹にかかわる問題なのでアメリカ国民は慎重なんです。「えっ、銃と民主主義がどういう関係なの???」って驚かれる方もいるのではないでしょうか。

銃規制の問題を深く掘り下げていくと、アメリカ国民の民主主義の考え方がよくわかってきます。

次回もまた読んでね。ばいばい。

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参考文献)

ソビエト帝国の崩壊

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アメリカ大統領ものがたり

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アメリカの政治

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大統領の通信簿

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美しい国へ

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リンカン

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PERESTROIKA

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