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2007年9月 2日 (日)

「死ぬ」よりも恐ろしいこと

オジサンの知り合いにオマール・カーンさんというバングラデシュ人がいた。

カーンさんは日本の大学で学び、卒業後はそのまま日本に留まってインド向け専門商社へ就職した。オジサンと知り合ったのはこのインド向けの仕事を通してであった。

そのカーンさんから、「かいちゃん、今度インド・レストランをやりたいと思っているのだけど、いっしょにやらないか?」という話を持ちかけられた。いまから15年くらい前の話である。

カーンさんは以前から日本でインド・レストランをやりたいという夢があったようで、そのために貯金をし綿密な計画を練ってきたのであるが、どうしても資金面で不足があるようで、親しくしている人たちに共同経営を持ちかけているのだった。カーンさんは人をだますような性格ではないし、働き者で実行力があることは仕事の付き合いからわかっていた。また企画書なども良く出来ていて、綿密にコスト計算もされており、実現性の非常に高いものであることがわかった。そこでオジサンはこの話に乗ってみようかという気になった。

しかし、オジサンが出資できる額とカーンさんの預金を足しても、まだ少し足りない。

するとカーンさんは、「かいちゃん、あとひとり信頼のできる人がいる。」と言った。

その信頼できる人とは、山本さんという自動車修理工場の社長さんで、カーンさんの古くからの知り合いだとのこと。さっそく二人でレストラン開業のための出資をお願いするため、その社長さんを訪ねることにした。

会ってみると、山本さんは50歳前後で、偉(えら)ぶるところがなく、気さくで感じの良いひとであった。

山本さんは中学を卒業してから単身東京に出てきて、苦労の末自動車修理工場を経営するまでになった人だそうだ。会社経営が軌道に乗ってからは、従来したかった勉強もはじめ、英語に関しては独学で英検3級を取るまでになった努力の人である。また勉学のかたわら、海外からの留学生を援助するボランティア活動などもしていた。カーンさんとは彼が日本の大学に通っているころからのお付き合いだという。

「ぼくはこう見えても結構国際人なんですよ!」

と、山本社長はおっしゃられて、国際交流ボランティアの会合や知り合った人たちと撮った写真のアルバムなどを見せていただいた。海外の人たちと交流しているということが山本社長の自慢のタネのようだった。

レストラン出資の件も、具体的に詳細までは話し合わなかったが、「ぼくのできる範囲で協力はするよ」とおっしゃられていたので、感触はよかった。うまくいきそうだ!

そうこうしているうちにお昼時になり、山本社長が外で食事をご馳走してくれるという。

「この近くに繁盛しているメキシコ料理店がある」と、山本社長は言った。

このメキシコ料理店は店構えは小さいながらも、国税局が査察に入ったほどの盛況ぶりだという。

「インド料理とは違うかもしれないが、君たちの勉強になるだろうから、行ってみよう!」と社長はおっしゃられた。

なるほど、そのメキシコ料理店の前には客が行列を作っている。すごい繁盛ぶりだ!

順番を待って山本社長お薦めのそのメキシコ料理店へ入った。

メキシコ料理といっても昼の定食は一品だけ。熱した鉄板製のお皿に、なにやら中華丼の具のようなとろみのかかったものを入れただけのとってもシンプルなもの。それにご飯がつく。それでもジュージューとおいしそうな音とこうばしい香りがしてくる。うまそうだ!さっそく定食三つを注文した。

1分もたたないうちに、さっと料理が出てきた。

ジュージュなっているその中華丼のような具を口に入れてみた。うまい!ちょっと辛味のかかったなんともいえない味だ。ご飯とよく合う。一品料理で時間がかからず、しかもおいしそうな音とこうばしい香り。客の回転率もよく、儲かるはずだ。山本社長が我々をここに連れてきた理由がよくわかった。

本来であればここでご馳走になって、山本社長が機嫌のいいうちに、具体的な出資のお願いをして帰れるはずであった。

ところがここで大きな問題が起きた。

カーンさんがこの山本社長お薦めの自慢の料理を食べられないのである。

そのメキシコ料理には豚肉が使われていたのであるが、カーンさんはイスラム教徒だったのである。

ご存知の読者も多いと思うが、イスラム教の聖典・コーランでは豚肉を食することを禁じているのである。

以下はその時のカーンさんと山本社長の会話。

.

カーンさん: 「社長、すみません。私はイスラム教徒なので豚肉は食べられないのです。」

山本社長: 「じゃ、豚肉の部分は食べずに、その汁だけでもご飯にかけて食べてごらん。日本人が好む味がわかるよ。とても勉強になるよ。」

カーンさん: 「社長、豚肉を使っている料理はいっさい口にしてはいけないのです。」

山本社長: 「なにも死ぬわけじゃないんだから、そんな大げさな。ちょっとだけでいいから舐めてみたら。本当においしいんだから。イスラムの神様もちょっとくらいなら許してくれるだろう?」

カーンさん: 「・・・・・・・・」

そのうちだんだん山本社長の機嫌が悪くなってきてしまった。

山本社長: 「オレも自動車修理会社を命がけでやってきた。レストランを経営するのも命がけでやらないとダメだ。なにも豚肉を食べろとはいっていない。味の勉強のために汁をちょっと舐めてみたらといってるだけなんだ。命がけでやればできるでだろう?それくらいもできないのか?」

カーンさん: 「・・・・・・・・」(いまにも泣きそうな顔)

.

このあとなんとか食べさせようとする山本社長がカーンさんを責め立てるのであるが、結局、カーンさんはこのメキシコ料理にはいっさい箸をつけることはなかった。当然山本社長はカーンさんのレストラン経営の姿勢を疑うことになり、出資をしてもらう話はうまくいかなかったのである。

今回なぜカーンさんの話からしたかというと、読者の皆さんに私たち日本人の宗教観とイスラム教徒の宗教観の違いを体感してもらいたいからなのである。

ここで皆さんに質問したい。

もし読者の皆さんがイスラム教徒と仮定して、カーンさんのようになにか実現させたい夢を持ち続けていたとしよう。たとえば皆さんが英語の勉強のため外国に留学したいと夢見ていたとしよう。そんなとき豚肉を使った料理が出てきて、ちょっと舐めたらその夢を叶えてあげようと誰かが言ったとしたら、皆さんはどうするだろか?

多少舐めちゃってもいいかな…なんて思わないだろうか。

もっと極端な例を出そう。

もしみなさんがイスラム教徒で、暴漢によって家族全員が捕らわれたと仮定する。もし豚肉料理を食べないと家族全員を殺すと脅されたらどのように行動するだろか?

愛する家族を救うためなら、ちょっとだけなら食べちゃおうと思わないだろうか?

実はこれはむかし十字軍がエルサレムに進攻した際に、実際に現地のイスラム教徒に対しておこなった拷問なのである。

あるイスラム教徒の男が妻と娘といっしょに十字軍に捕らわれてしまった。そして十字軍兵士によって彼は豚肉料理を差し出され、食べないと妻と娘を刺し殺すと脅されたのである。

その脅しに対してその男はどうしたか?

答えは、その男は目の前で妻と娘が惨殺されても豚肉を食べなかったのである。

日本人的感覚から言うと、「なんて、薄情な奴なんだ!」って、思われるかもしれない。

しかし、それほどイスラム教徒にとって戒律を守ることは絶対なのだ。

自称「国際人」の山本社長が、「死ぬ気になれば食べられるだろう」と言ったが、それは間違っている。

自分だけでなく、たとえ愛する家族が死ぬことになろうが、戒律を破ることはできないのである。

いやむしろイスラム教徒にとっては「死」は重要なことではない。彼らは死などさほど恐れていない。

それよりも恐ろしいのは戒律破りなのである。

彼らにとって戒律破りは死ぬことよりもはるかに恐ろしいことなのだ。

なぜ彼らにとってそれほどまでに戒律破りが恐ろしいのか?

それを知るためにはイスラム教の教義を知らなければならない。

ちょっと長くなって恐縮だが、もうちょっとがんばって読んでもらいたい。簡単にイスラム教における教義を説明しよう。

イスラム教には六信(イマーン)というものがある。

これはイスラム教徒として信じなければならない6つの要件で、イスラム教の基本中の基本となる教義だ。それらは ①アッラーを信じること ②アッラーの天使を信じること ③アッラーの経典を信じること ④アッラーの預言者を信じること ⑤最後の審判を信じること ⑥天命を信じること

この六つのことを完全に信じきることができて、はじめてイスラム教徒となれるのである。

今回の宗教シリーズでは、後日あらためてイスラム教について詳細を説明するので、本日は項目5の最後の審判についてだけお話する。

イスラム教ではキリスト教と同様に終末思想というのがある。

それはいつだかわからないが、いずれ必ず世界の終わりがやってくるというもの。

ある日突然に天使が降りてきて、ラッパを2度吹く。そうするとこの地上は神の光でかがやき始め、死んだ者は生き返り、生きている者と一緒に瞬時に裁かれて、コーランに書かれた正しい行いをした者は天国へ、正しくない行いをした者は地獄へ送られるのである。

ここでポイントは「生きたまま」天国または地獄へ送られるということ。

コーランの記述によると、正しい行いをしなかった者は地獄で炎の中に「生きたまま」投げ込まれる。ところが焼け死ぬことはできないのである。なぜかというと皮膚が焼けただれても、またすぐに新しい皮膚が再生されるので、まさしく灼熱地獄の苦しみは永遠に繰り返されていくからだ。

地獄とはまさに阿鼻叫喚の世界。

逆に天国はどうかというと、そこは緑の多い世界で、ここちのよい涼しさ。美しい森の中を甘い川やお酒の川が流れている。その川のお酒をいくら飲んでもよい。そのお酒はなんともいえない美味で、飲みすぎても肝硬変になる心配もない。また果物などのおいしい食べ物も豊富にある。おまけに容姿端麗な女性を与えられて、セックス三昧の日々。

これほど楽しいことはないというところが天国なのである。

イスラム教徒にとって、生きたまま最後の審判の日を待つのも、死の状態で待つのもあまり違いはない。いずれかならず最後の審判の日はやって来るのだ。次の世が本当の世界で、現世はテスト期間中の仮の世界だと彼らは思っている。だから彼らはあまり死というものを重く考えないのだ。

十字軍に捕らわれた男は、たとえ家族を殺されたとしても、行いを正しくしていればいずれ全員が生き返って天国へ行くと思っていた。だから彼は豚肉を食べなかったのである。

我々日本人からすると、最後の審判の日の到来は荒唐無稽な作り話のように聞こえると思う。しかし、オマール・カーンさんや十字軍に捕らわれた男も含め、すべてのイスラム教徒がこのことを本気で信じているのである。

これはすごいことだと思わないか?

世界のイスラム教徒の人口は約15億、しかも急速にイスラム教徒が増え続けている。あと10年~20年もするとキリスト教徒を抜いて世界一の宗教になる。

そしてイスラム教徒のほとんどが、自分の命だけでなく愛する家族の命をも犠牲にしてまで、最後の審判の日の到来に備え、コーランの教えを完璧に実践しようとするのである。

オマール・カーンさんのような読者の周りにもいる一般のイスラム教徒から、アラブ世界の国を動かすほどの力を持ったイスラム法学者や政治家のような権力者に至るまで、全員がコーランの教えを信じ、その教えを何よりも第一優先に実践しようとしているのである。

9・11以降、原理主義者(ファンデメンタリスト)という言葉をよく聞くと思う。

原理主義者とは宗教の教えを忠実に実践しようとする者を言う。日本人的感覚からいうと、我々は原理主義者について一部の宗教に囚われた狂信的な人というイメージを持っていないだろうか?

ところが原理主義者とは特別な存在ではない。

どこにでもいる人たちなのである。

そして本日の投稿でオジサンがみなさんに伝えたかったことは以下。

原理主義者とはイスラム教徒だけではない。

ユダヤ教徒やキリスト教徒も本来は原理主義者なのである。

ほとんどのユダヤ教徒は旧約聖書に書かれたことは「事実」として信じているのである。

たとえば、紅海が真っ二つ分かれてモーゼに率いられたイスラエルの民が渡った出エジプトの記述を本当にあったこととして信じている。

また同様に多くのキリスト教徒はイエスがおこなった数々の奇跡(亡くなった少女に触れて生き返らせたことや、ガラリア湖の水面を歩いて渡ったこと等)を実際にあったこととして本気で信じているのである。

まさか!大の大人がそんな作り話を本気で信じているはずはない!

…と、思うのは日本人だけである。ある宗教の教徒になるということは、その宗教の教義を文字通り信じきることなのである。

宗教とは本来そういうものなのである。

たいていの日本人は、元旦は神道の神社に初詣に行き、お彼岸には仏寺のお墓参りをし、暮れにはクリスマスを祝っちゃうような国民なので、この原理主義というものがなかなか理解できないのである。どうしても原理主義者を目の当たりにすると、頭のイカレタ変人にしか見えない。

日本ではキリスト教徒であってもほとんどの人が、天地創造やノアの箱舟、あるは預言者たちのおこなった数々の奇跡を単なる比喩的にしか捕らえていない。現実にあったものとして信じている人たちは少ない。少なくともオジサンの周りにいる日本人のキリスト教徒は聖書の中の奇跡をな~んとなくそんなことがあったのかな…程度のあいまいさ。積極的に疑ってはいないものの、確信には至っていなかった。

実はこの日本人のような宗教感覚の方が、世界的に見て稀なのである。

そして問題なのは、自称「国際人」の山本社長をはじめ、多くの日本人が自分たちの持っている類まれな宗教観を人類普遍の宗教感覚だと思い込んでいることなのだ。ここに異文化間コミュニケーションの軋轢(あつれき)が生じるのである。

畢竟(ひっきょう)、宗教とは原理主義(ファンデメンタリズム)こそが本来の姿であることを肝に銘じてほしい。このことをとっくりと腑に落とすことによってはじめて、これからオジサンがお話しようと思っているユダヤ教、キリスト教およびイスラム教の驚くべき世界が理解できるようになるのである。

あとがき)

みなさ~ん、おひさしぶりです。

今年の夏は本当に暑(熱?)かったですが、ようやく最近、朝夕がちょっと過ごしやすくなってきたかなって感じがしています。

さて今週より宗教をテーマにブログを再開します。10回~15回くらいの投稿記事を書こうと予定していますが、執筆する時間が日曜日しかないので、前回のように毎週1回の更新はできないかもしれません。(前回はかなりしんどかったです。)今回は無理せずに、不定期に投稿しますので時々覗いて下さいね。

記事の投稿間隔は長くて投稿回数も少なく、物足りない感じもするかもしれませんが、一球入魂で書き上げていきますので、気長~にお付き合いをお願いいたします。

レストランの件ですが、資金が思うように集まらず最終的には断念しました。その後、転職したのでカーンさんとは疎遠になってしまいましたが、何年かして風の噂でカーンさんは念願のお店を開店できたということを聞きました。

今回の投稿でなんとなく原理主義者というものが一部の人たちではなく、どこにでもいる人たちであることがわかっていただけましたでしょうか。しかも彼らの戒律というのは、命と引き換えでも守るというとても厳しいものです。そこらへんを理解して彼らと付き合ってくださいね。

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そうそう、本日は是非皆さんにご紹介したいブログがあります。

はなぶささんという英語三冠(英検1級、TOEIC965以上、通訳ガイド)保持者でプロの翻訳家の書かれたブログ(変身!幸せな英語使いドットコム)です。

このブログは英語と日本語のチャンポンで書かれています。

使われている英単語はいずれもタイムやニューズウィークなどで見かける「知的な」語彙ばかりで、おそらく英検の試験出題者が好みそうなものばかりです。辞書を片手にじっくりと読むとボキャビルに役立ちます。

しかしオジサンが皆さんにお伝えしたいのは、それ以上に書かれている内容がとってもいいということなんです。

円滑なコミュニケーションとは語学だけの問題ではありません。

外国の言葉を学ぶと同時に、文化、習慣、考え方等に関して、海外と日本の違いを学んでいく必要があります。その点、はなぶささんのブログにはそれらのヒントがたくさん書かれているのです。まさに一石二鳥のブログなんです!

また彼女のブログで扱っているテーマがなぜかオジサンの書いた過去ログとシンクロしています。はなぶささんのブログと合わせて読んでいただければ、2倍お楽しみいただけると思います。ぜひ彼女の過去ログも読んでいただくことをお薦めします!

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次回はそれぞれの宗教の食物規範について補足します。

それじゃ、次回もよろしくね。バイバイ!

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