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2007年9月 9日 (日)

耳の長いトリ???

我々一般の日本人が海外の人たちと付き合うときに、もっともトラブルになりやすいのが、食べ物にかんしてだと思う。

特にユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教およびインド仏教では食べて良いもの悪いものがはっきりと決められている。これを食物規範という。本日はこの食物規範について、それぞれの宗教で何を食べてよく、何を食べてはならないかを詳細に見ていこう。

その前にまずお伝えしたいことは、オジサンのビジネスを通した経験では、宗教上の食物規範を単なる「好き嫌い」程度にしか考えていない日本人が多い。

ちょっとくらいなら、神様も許してくれるだろう…

ほとんどの日本人がこう考える。とんでもないことである!

食物規範を含む戒律は彼らにとっては「生死」以上の問題であることをぜひ肝に銘じてほしい。

彼らはこれらの戒律を破ると神の罰が下ると本気で信じている人たちなのである。

ユダヤ教徒であれば戒律を破れば一族皆殺し、イスラム教徒であれば地獄での永遠の業火による苦しみ、ヒンズー教徒であれば畜生の生まれ変わりに等々…

戒律を破るとこのような罰が与えられると本気で信じているのである。

以前、日本からイスラム教の国・インドネシアへ進出した某調味料メーカーが、調味料の素となるグルタミン酸ソーダを作る際に豚肉の一部を触媒として使った。「触媒だから直接口に入らないからいいか」ってな安易な気持ちで、製造したグルタミン酸調味料を販売してしまった。ところが後から触媒に豚を使ったことがわかり、暴動が起きて国際問題にまで発展してしまったことがあった。彼らにすれば豚を使ったものは全て不浄なものとなり、食することは戒律違反になってしまうのだ。努々(ゆめゆめ)ちょっとくらいならいいかという考え方は、食物規範に関しては厳禁である。

またユダヤ教徒は、旧約聖書を読むとよくわかるのであるが、過去に何度となく神が定めた掟を破り、その都度一族絶滅の危機に見舞われてきた民族である。北イスラエルの滅亡、南ユダ王国のバビロン捕囚、そしてその後、数々のヨーロッパにおけるホロコーストを体験してきた。彼らにとって食物規範を含む戒律を守るということは、ユダヤ民族の存亡にかかわる重大問題であることがおわかりになると思う。

彼らの戒律を守ることの重要性をしっかりと把握して、これらの海外の人たちと付き合っていってほしい。

逆に言うとここらへんをしっかりと理解して、彼らが日本に来たときに戒律に反する「不浄な?」食べ物から守ってあげると、これらの人たちと太い信頼関係のパイプを作ることができるのである。

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まずはユダヤ教から見ていこう。

ユダヤ教の経典は旧約聖書であるが、特に最初の部分、創世記(Genesis)、出エジプト記(Exodus)、レビ記(Leviticus)、民数記(Numbers)、申命記(Deuteronomy)には、ユダヤ教徒として守らなければならないこと(戒律)が克明に書かれている。これらの5書をトーラ(またはモーゼ5書)と言い、ユダヤ教の経典の中でももっとも重要なものとされている。

食物規範についての記述は、レビ記の11章と申命記の14章3節から21節までに書かれている。こと細かに書いてあるが、食べてはいけないものの要点は以下。(コリンズの聖書の原文を最後に載せておくので、英語に興味のある方は挑戦してみたし):

1.蹄(ひづめ)が割れていない動物または反芻(はんすう)をしない動物。

ブタ(蹄は割れているが反芻をしない)、ラクダ、ウサギ、ねずみ、もぐら、等

2.水中に生息するものでエラまたはウロコのない生物

3.食べてはいけない鳥。

わし、ふくろう、たか、とんび、カラス、海とり、ダチョウ、コウノトリ、コウモリ等

4.バッタ、イナゴを除く羽のあるすべての昆虫

5.地をはう動物

へび、とかげ等

6.ヒツジまたはヤギの肉とその乳をいっしょに料理したもの

ということは、

ユダヤ教で食べられるものは、肉類は牛、羊、ヤギなど。一般の魚はOKだが、ウナギやドジョウはだめ。貝類もだめ。イカやタコもだめ。カニもだめ。ただし確かエビはOKだったと思う。鶏肉はOK。グラタンやクリーム類を使った料理は同種の肉類が使われているならばだめ。

オジサンはお刺身を肴に、お酒を一杯というのが大好きなので、ホタテや貝類、イカ、タコの食べられないユダヤ人とは、なんとかわいそうな民族なんだという気がする…。

もし皆さんがビジネスなどで欧米の人と食事や接待をするときには、けっこうユダヤ系の人たちが多いので、食べ物の制約があるかどうか事前に調べておこう。接待のときなど思わぬ不快な思いをしてしまうことがあるので気をつけよう!

なお、旧約聖書を共通の聖典とするキリスト教は、イエスの登場によって戒律よりも神への忠誠と愛を優先させたため、ユダヤ教のような食物規範はない。常識内で何を食べてもOK。

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次にイスラム教の食物規範を見てみよう。

コーランの第5章3節にはこのように書いてある。:

「あなたがたに禁じられたものは、死肉、流れる血、豚肉、アッラー以外の名を唱え殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で殺されたもの…」

イスラム教はシンプルだ。ずばりイスラム教徒が食べられないものは、豚肉である。

…と思いきや、そう簡単ではない。

実はイスラム教では、キリスト教の旧約聖書の「出エジプト記」、「レビ記」、「申命記」および、新約聖書の福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)は、聖典の一部とされているのである。

以前、パキスタンから来たイスラム教徒の顧客と食事に行ったことがあるのだが、彼らは豚肉以外にもタコやイカ類は食べなかった。また前回の投稿に登場したカーンさんと居酒屋へ行ったことがあるが、彼も豚肉以外にもタコやイカ類は食べなかった。

そう考えると

パキスタンとバングラデシュのイスラム教では食物規範にかんしては、ユダヤ人同様に旧約聖書が適用されているようだ。(申し訳ないが、オジサンはアラブ人と食事をしたことがないので、本家本元のイスラム教徒であるアラブ人も同じであるかわからない。この点ご存知の方がいらっしゃれば教えてほしい…)

イスラム教徒の方を食事に招待する時などは、豚肉以外に食べられないものがあるかどうかを確認しておくほうが無難である。

ところで、「えっ!なんでイスラム教ではキリスト教の聖書の一部が聖典となっているの???」と、不思議に思っている読者がいるかもしれないので、ちょっと解説を。

イスラム教徒に、「あなたの最初の先祖は誰ですか?」と聞くと、こう答えるはず。

それは、アダムとイブである。

つまり広い意味で言うと、イスラム教徒はユダヤ教徒およびキリスト教徒と兄弟なのである。

イスラム教の経典であるコーランは、旧約聖書および新約聖書を継承して、7世紀に天使ガブリエルを通して預言者モハメッドにおろした唯一神アッラーの啓示なのである。このコーランの中では、たびたびモーゼやイエスが登場し、イスラム教では彼らはモハメッドと同様に預言者として扱われ、尊敬されている。

ちなみに、彼らは預言者(prophet)であって予言者(fortuneteller)ではない。預言者は神の代理として神の言葉を人々に伝える人。予言者は超能力によって未来に起こることを事前に伝えることができる人。混同しないように、念のため。

イスラム教と聞くと、右手に剣、左手にコーランを持って、イスラム教に改宗するように迫ってくる恐ろしい暴力的な宗教のようなイメージがあるかもしれないが、これはまったくの誤解である。十字軍以降の西ヨーロッパのキリスト教世界のプロパガンダによって作り上げられたいつわりのイメージと思われる。実際はコーランではイスラム教に改宗するのが望ましいが、ユダヤ教、キリスト教との共存を認めているのである。

覚えている人も多いと思うが、イラクのフセイン政権で外務大臣を務めていたアジズというごくごくまともな人がいた。この人はキリスト教徒であった。キリスト教徒であってもイスラムの世界では迫害されることはないのである。

9.11以降世界中で過激なイスラム原理主義運動が起こっており、これらの現象をイスラム教とキリスト教の対立としてとらえている識者が多くいるが、上記の例からもちょっと的外れなのがわかると思う。

イスラム教はユダヤ教もキリスト教も同胞として共存を認めているのだ。

現在のイスラム原理主義運動の原因はもっと深いところにある。それはオジサンといっしょにイスラム教およびイスラムの世界を勉強していくと本当の理由が徐々に見えてくるはずだ。

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ついでにインドのヒンズー教を見てみよう。

インド人と聞くと、牛を神聖視して、牛肉だけ食べないと思い込んでいる日本人が多いけど、それは大きな間違い。

インド人の7割は敬虔なヒンズー教徒で、全員がベジタリアン(菜食主義者)である。

彼らはいっさいの動物や魚介類は食べない。

これは人は死んで輪廻を繰り返すと信じているところから来ている。

「あなたが今、食べようとしいる豚や魚は、亡くなったあなたのやさしい母親の生まれ変わりかもしれない…」

こう言われたらちょっと食べる気がしないでしょう。

以前オジサンが勤めていた産業機器を製造している会社の社長さんは高学歴でかなりの英語使いだったが、インド人は牛肉だけ食べないと思い込んでいた。そこで接待をする際に、牛肉以外にも豚肉や魚介類があるってことで、なんと!インドの代理店の人を彼の行きつけの高級焼肉屋について行っちゃったのである。それを後から知って、あわててオジサンが追っかけて行って強引にお店を変えさせたことがあった。高級だからって彼らが喜ぶはずはない。

そのインド人が言っていた。「かいちゃんは命の恩人だ!」って。

彼らからすると、牛に限らず生き物を焼いたにおいが漂うところにいることすら耐えられないことなのだ。

本来はヒンズー教徒も元始仏教徒も植物さえ食べてはならないのである。

なぜかというとそれらには命が宿っているからである。

ヒンズー教と元始仏教では、いっさいの殺生を禁じている。そうかといって、なにも食べないのでは餓死してしまうので、必要悪として野菜と果物は食べるのである。

日本では食事をする前に「いただきます」と言う習慣があるが、これは仏教用語から来ている。本来の意味は、「あなたの命をいただいて、生きながらえさせていただきます」という、自分が生きるために犠牲となって死んでいく動植物に対する感謝の言葉なのだ。英語に訳そうとしても適訳が見当たらないのは当たり前。欧米にはそのような宗教的概念がないのだから。旧約聖書の中では、唯一神・エホバはヤギや羊の皮をはぎ、これこれこのように焼いて供えよとイスラエルの民に命じる箇所が多数記述されている。つまりもともと家畜は人間が食べるものとして神によって創造されたものである。家畜を殺すことは神の意思にかなっており、悪いことではない。だから無理に「いただきます」を英訳しようとすれば、せいぜい、Let's eat it, shall we? なんてあっさりと言うしかない。

マヨネーズや卵くらいはいいのかな?なんて思うのは日本人。野菜と果物以外はだめ!(ただし、乳製品はOK!)

精進料理であっても、かつおだしを使っているものも不可。

オジサンは日本国内でインド人と営業に出かけて、昼食をとるときには喫茶店に入ってトーストやピザ(ただしサラミの乗っていないもの)とサラダを食べさせていた。それで十分。もちろんドレッシングはイタリアンで、マヨーズなどが使っていないものを選んであげよう!

そうそう、インド人はお茶も好きなので、紅茶も合わせてたのんであげることを忘れずに!

オジサンは時々、行きつけの昆布だしのお蕎麦屋さんにも連れて行っていた。インド人はたいてい「うまい、うまい」と言って喜んで食べていた。なにも高いところへ連れて行く必要なんかない。高級レストランに連れて行っても彼らはちっとも喜ばない。彼らが一番喜ぶものは「安全な」食べ物なのである。

またインド・レストランに連れて行けば安心だろうと思わないこと。

日本では本当のインド・レストランは非常に少ない。

インド・レストランと銘うっているお店のほとんどが、バングラデシュ料理かパキスタン料理である。日本に本当のインド・レストランが少ない理由は、コックがインド人だと、ベジタリアンなので、肉や魚を使った日本人好みの料理が作れないためだ。大概でてくるインド料理と呼ばれるものはパキスタン人またはバングラデシュ人コックが日本人好みに作ったパキスタンまたはバングラデシュ料理である。そのなかには肉類や魚介類が材料として使われているので注意が必要だ。(オジサンはパキスタン人またはバングラデシュ人が作った料理を否定しているわけではないのでご了承いただきたい。彼らの作る料理はそれはそれでとてもおいしい!)

もし、皆さんのお知り合いのインド人がホームシックにかかって、どうしてもインド料理が食べた~いと言ったら、東京地区であれば、銀座の「アショーカ」か「ナイル」に連れて行ってあげよう。この二軒は本当のインド料理レストランである。ただし完全を期すために、念のため、菜食主義者であることをウェーターに伝えておこう。なお、あまり知られていないが「ナイル」は日本で初めて開店したインド・レストラン第一号でもある。

なんか英語ブログというよりも、グルメ店の紹介ブログみたいになっちゃいましたね。

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最後に日本の食物規範についても触れておこう。

江戸時代まで日本にも食物規範があったのをご存知だろうか?

江戸時代までの人たちは、不浄なものとして四足動物を食してはならないことになっていたのである。これは仏教の戒律から来ているものと思われる。ところが日本の食物規範はユダヤ教徒やイスラム教徒のような原理主義者がみたら、腰を抜かすくらい厳格ではなかったのである。

種子島に外国船が漂着して以来、日本は鎖国をしていたとはいえ、西欧の文化が徐々に入ってきた。そのうちの一つに牛肉、豚肉があった。日本人はそれらの四足動物がおいしいということがだんだんわかってきた。

戒律で四足動物を食してはならない。かといって肉は食べたい…。

そこで当時の人々はこう考えた。

イノシシは色が黒くてとても他の四足動物のように見えない。あの黒さはどこかでみたような…、そうだ!あれは海にいるクジラの色に似ている。イノシシはひょっとして四足動物じゃなくて山にいるクジラじゃないか?うん、あれはたしかにクジラだ!ってことで、イノシシを食べていた。

また、ある人はウサギを見て、ウサギはピョンピョン跳ねる。あれはどう見ても四足動物に見えない。ウサギはひょっとしてニワトリの一種じゃないか?確かに、一羽二羽と数えていたらなんとなく鳥のように思えてきた…、うん、これは鳥だ!ってことで、ウサギも食べちゃった。

前回の投稿記事で、妻子を殺されても豚肉を食べなかったイスラム教徒と比べると、日本人の食物規範はなんとあいまいなことか…。

日本の仏教僧もそうだ。日本に仏教が伝わったころは仏教僧は完全なベジタリアンであった。ところが現在では精進料理は何かのイベントに出される程度で、ほとんど食さなくなってしまった。いつのまにか食物規範の戒律がなくなっちゃたのである。

このことから見ても、我々日本人には原理主義(ファンデメンタリズム)がなじまないのがおわかりになるかと思う。

あとがき)

お疲れ様でした。

ユダヤ教やイスラム教でいう宗教上不浄な食べ物とは、現代的知識を持って見ると、細菌やウィールスが繁殖したものであるようです。

細菌やウィールスは肉眼で見ることができず、かつその存在すら知らなかったので、古代の人々はそれらの食べ物にはなにか霊的に不浄なものが憑いていると思っていたのでしょう。昔の豚は衛生面で問題があり、多くの人がお腹をこわしたりしたのでしょうね。またイカやタコのような生物は、冷蔵庫のような貯蔵場所がなく腐敗しやすかったので、食中毒などを起こしやすかったと思います。これらは旧約聖書のレビ記や申命記の食物規範の章をじっくりと読むとおわかりになると思います。巻末にその部分を抜粋しておきましたので、このような観点から読んでみると面白いのではないでしょうか。参考にしてみて下さい。

原理主義の人たちにとって食物規範は非常に重要なものです。ここら辺を注意して日本にこられる海外の人たちに接してあげて下さいね。コミュニケーションがスムーズになると同時に、深い信頼関係を築くことができます。

前回の投稿でイスラム教徒の原理主義を見ましたが、次回はユダヤ教とキリスト教の原理主義を検証してみたいと思います。

それじゃ、また見てね。バイバイ。

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オジサンお薦めの本)

聖書

聖書協会が出版している、口語英語で書かれた読みやすいバイブルです。この聖書の特徴は各章の要約が冒頭に書かれていることです。聖書は日本語で読むよりもこの英語版で読むほうがずっと楽です。中学3年生程度の英語力があれば理解できるほど、平易な文章と単語で書かれています。

平易な文章で書いてあるとは言え、一般の我々が聖書を通読するのは骨の折れる作業です。なぜかというと、系譜が非常に複雑で混乱するからです。最初から細かく読んでいくと何がなんだかわからなくなっちゃいます。そこで枝葉末節は思い切って省き、ざっくりと幹の部分だけをすばやく読みましょう。そうすることによって聖書による神と人間の関係がより深く理解できます。どの部分が太い幹か今後このブログで明らかにしていきますね。

参考文献)

レビ記11章

The Lord gave Moses and Aaron the following regulations for the people of Isreal.

You may eat any land animal that has devided hoofs and that also chews the cud, but you must not eat camels, rock-badgers, or rabbits. They must be considered unclean; they chew the cuds, but do not have devided hoofs. Do not eat pigs. They must be considered unclean; they have diveded hoofs, but do not chew the cud. Do not eat these animals or even touch their dead bodies; they are unclean.

You may eat any kinds of fish that has fins and scales, but anything living in the water that does not have fins and scales must not be eaten. Such creatures must be considered unclean. You must not eat them or even touch their dead bodies. You must not eat anything that lives in the water and does not have fins and scales.

You must not eat any of the following birds; eagles, owls, hawks, falcons; vultures, crows; ostriches; seagulls, storks, herons, pelicans, cormorants; hoopoes; or bats.

All winged insects are unclean, except those that hop. You may eat locusts, crickets, or grasshoppers. But all other small things that have wings and also crawl must be considered unclean.

Whoever touches the dead bodies of the following animals will be unclean until evening; all animals with hoofs, unless their hoofs are devided and they chew the cud, and all four-footed animals with paws. Whoever carries their dead bodies must wash his clothes, but he will still be unclean until evening.

Moles, rats, mice, and lizards must be considered unclean. Whoever touches them or their dead bodies will be unclean until evening. And if their dead bodies fall on anything, it will be unclean. This applies to any article of wood, cloth, leather, or sacking, no matter what it is used for.  It shall be dipped in water, but it will remain unclean until evening. And if their dead bodies fall into a clay pot, everything that is in it shall be unclean, and you must break the pod.

Any food which could normally be eaten, but on which water from such a pot has been poured, will be unclean, and anything drinkable in such a pot is unclean. Anything on which the dead bodies fall is unclean; a clay stove or oven shall be broken, but a spring or a cistern remains clean, although anything else that touches their dead bodies is unclean. If one of them falls on seed that is going to be sown, the seed remains clean. But if the seed is soaking in water and one of them falls on it, the seed is unclean.

If any animal that may be eaten dies, anyone who touches it will be unclean until evening. And if anyone eats any part of the animal, he must wash his clothes, but he will still be unclean until evening; anyone who carries the dead body must wash this clothes, but he will still be unclean until evening.

You must not eat any of the small animals that move on the ground, whether they crawl, or walk on four legs, or have many legs. Do not make yourselves unclean by eating any of these. I am the Lord your God, and you must keep yourselves holy, because I am holy. I am the Lord who brought you out of Egypt so that I could be your God. You must be holy, because I am holy.

This, then is the law about animals and birds, about everything that lives in the water, and everything that moves on the ground. You must be careful to distinguish between what is reitually clean and unclean, between animals that may be eaten and those that may not.

申命記14章3節ー21節

Do not eat anything that the Lord has declared unclean. You may eat these animals: cattle, sheep, goats, deer, any animals that have divided hoofs and that also chew the cud. But no animals may be eaten unless they have divided hoofs and also chew the cud. You may not eat camels, rabbits, or rock-badgers. They must be considered unclean; they chew the cud but do not have divided hoofs. Do not eat pigs. They must be considered unclean; they have divided hoofs but do not chew the cud. Do not eat any of these animals or even touch their dead bodies.

You may eat any kind of fish that has fins and scales, but anything living in the water that does not have fins and scales may not be eaten; it must be considered unclean.

You may eat any clean bird. But these are the kinds of birds you are not to eat: eagles, owls, hawks, falcons; buzzards, vultures, crows; ostriches; sea-gulls, storks, herons, pelicans; hoopoes; bats.

All winged insects are unclean; do not eat them. You may eat any clean insect.

Do not eat any animal that dies a natural death. You may let the foreigners who live among you eat it, or you may sell it to other foreigners. But you belong to the Lord your God; you are his people.

Do not cook a young sheep or goat in its mother's milk.

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コメント

食物規範、とても興味深く拝見しました。インドカレー屋さん情報まで!ありがとうございます(笑

 インド人が貝や海草を食べないのは、インド人は河に遺体を流したり排泄物が流れていたりすることもあって、海は汚い(だから海水浴も流行らない)、その汚い海の底に沈んだ泥の中で生きている貝やイカタコを食べるなんてとんでもない、という意識もあるらしいです。だったら河に遺体や排泄物を流す荷を止めよう、とはならないんですね^^;
 日本人はルーズで食いしん坊な国民なんでしょうか???
 
 それにしても、どうして日本人には原理主義が根付かないのでしょうね??
 自分も今はヴィーガン生活してますが、それでも仕方なく付き合いで鰹出汁やマヨネーズはごく少量、口に入ってしまうことはありますですね。それで良しとするようじゃあホントの菜食主義ではないのでしょうが、日本で菜食生活するのは本当に大変です。
 戦後刷り込まれたアメリカ式の高たんぱく高脂肪食至上主義は恐ろしいです。

 文末の聖書も頑張って読んでみます。どうもお疲れ様です。

avyaktaさん

毎度いつもご愛読ありがとうございます。

食いしん坊と言えば、まったく食物規範がなく、なにを食べてもOKなのが昔の中国ですよね。

私たち日本では、明記された食物規範はありませんが、それでも食物規範はあります。たとえば私たちは犬や猫やサルは食べませんよね。でも中国では今でも食べるんです。中国では「食べられないものは豚の鳴き声だけ」という諺もあるくらいです。

あまり知られていませんが、昔の中国では人間の肉までレシピがちゃんとあって、食べていたんですよ。

孔子様の弟子にガンカイという人がいたのですが、敵国につかまってヒシオという塩漬けにされて食べられちゃったんです。それを聞いて孔子様は大変嘆き悲しみ、自宅にあったヒシオを全部捨てたという記述が残っています。と、言うことは、孔子様も人を食べていたってことですよね。

吉川英治さんの小説「三国志」を読むと、曹操の軍勢に追われた劉備玄徳が山に命からがら逃げるシーンがあります。そこである山小屋へ宿を頼みに行ったところ、そこの主人が人徳のある玄徳が来たので大変喜ぶのですが、もてなすご馳走がない。そこで奥さんを殺して料理して玄徳に出したのです。

日本人感覚だと、「げっ」ってもどしてしまうところですが、劉備玄徳はこれをありがたく頂戴するのです。中国ではこれは美談になっているんですよ。

ところ変われば食文化もまったく違っちゃうんですね。

avyaktaさんのおっしゃられるとおり、日本で完全な菜食主義を通すのは至難のわざですよね。私のうちにインド人が来たときは、パンとかトマト、ジャガイモといった素材を料理せずに焼いたり、蒸かしたりして塩で食べさせていました。けっこう好評でした。

たんぱく質の取りすぎといえば、申命記の中で、ヤギの肉とミルクをいっしょにした料理を食してはいけないという記述があります。3分英会話のmojoさんの説では、高たんぱくになってしまうからではないかということです。そういえば、以前紹介した fit for life という本では、現代人のタンパク質の取りすぎを警告していました。もともと私たち人間は牛や馬と同様に、植物系を食べてタンパク質に変える機能があるんですよね。アミノ酸のたくさん含まれた肉類や乳製品を取りすぎると、たんぱく質摂取過剰になってしまうのかもしれません。

日本人には原理主義が広がらないのはなぜなのでしょうか?

日本に宗教などが入ってくると、日本式にどんどん変わってしまうんです。不思議です。たとえば仏教はもともと瞑想による修行と食物規範を含む戒律を守ることによって悟りにいたるのです。ところが日本ではまったく戒律がなくなってしまい、「ナンミョウホレンゲキョウ」とか「ナムアミダブツ」と唱えれば、極楽往生できるという教義に変わっちゃったのです。なんども言いますが、仏教には極楽や地獄というものはありません。悟りを開くか輪廻を繰り返すかのいずれです。釈迦が生き返ったら、さぞビックリされることでしょう。

こんにちは。
Fit for Life以来、ベジタリアン化しつつあるはなぶさです。

ヒンズー教徒がベジタリアンなのは
>人は死んで輪廻を繰り返すと信じているところから来ている。
納得です。
野菜や果物にも命が宿っているけど食べなければ餓死するから
>「あなたの命をいただいて、生きながらえさせていただきます」

なるほど~。
これからは、こう思いながら「いただきます」を言うことにします。

>もともと家畜は人間が食べるものとして神によって創造されたものである。家畜を殺すことは神の意思にかなっており、悪いことではない。

アメリカで暮らしていたときのこと。ある友人が、「朝家を出たら、ドライブウェイでリスが死んでいた」と、涙を浮かべながら話すんですね。何だか大げさな気がしたんで「だってあなたたちは、毎日牛肉食べてるじゃん。それはど~なのさ」みたいなことを言ってみました。すると彼女は顔色一つ変えず、まさに上で引用させていただいた言葉を発したのでした。

>精進料理であっても、かつおだしを使っているものも不可

同僚にベジタリアンがいます。彼はイギリス人ですが、一口にベジタリアンと言ってもいろいろ段階があるんですね~。で、彼の場合はかなり厳しい方なので、当然かつおだしも不可。生徒さんは学期末のレストラン選びに頭を悩ませてるみたいです。

ところで、avyaktaさんへのレスにもありましたが、私は Fit for Life の Protein や Dairy Products の項目にちょっと感化されました。なので、肉を食べないのは、ただ単に「不衛生だ」とか「タンパク質のとりすぎになる」という以上の理由があるような気がしてなりません。

>はなぶささん

Fit for lifeは読んでいないのでとんちんかんな横レスだったらすみません。
 わたしが実践している「マクロバイオティクス」という食事(選択?)法では、肉には屠殺される時の動物の感情(恐怖、怒り、何故自分がこんな目にあうのかという疑問?)が残されているので、その肉を食べるとそういった感情の影響を受ける、とされています。切れやすくなったり怖がりになったり。
 ずっと肉を絶っていた菜食主義者が肉を食べると怖い夢を見るそうで、その影響は夜だけでなく昼もあるそうです。他、油をとりすぎると登場人物の多い夢を見る、など(これはわたしも経験しています)。

 食べ物と深層心理や意識の関係は(それら感情も脳内の神経伝達物質がなせる業であること、それら神経伝達物質も食べ物から作られていること、それら神経伝達物質の材料を届けるのも食べ物から出来た血液であることなどを考えると)当然なのかなあ、と思えます。

 マクロバイオティクスは、ベジタリアンではないので、バランスさえうまく取る方法を知っていれば肉を食べてもいいんだよ、と言っていますが、そんなわけでわたしは砂糖なしヴィーガンとも言える、厳格マクロバイオティクスを続けております。

 横レスすみません>かいちゃんさん

>かいちゃんさん

連投すみません(汗

孔子の弟子の話はアレ?どこかで似たようなのを聞いたな?と思ったら中島敦の「弟子」をはるか昔に読んだのでした。これはフィクションなんでしょうか?その作中では、子路は「塩漬けにされた」とは書いてありましたが、「食べられた」とは書いていなかったので、当然人間を食べるとは思っていないわたしは、「塩もったいな~い」としか思わなかったのですが(爆
 そして、子路の死を知った師匠・孔子は泣いて家中の塩漬けを捨てさせ、以後食卓に塩漬けがのぼることはなかった。という終わり方だったので、烏賊の塩辛だったのかな~~、くらいに思っていたのですが、中国、恐ろしすぎです>< 三国志のそんな残酷な側面も知りませんでした… かいちゃんさんはさすがに年の功といいますか、教養がおありですね(自分がないだけとも言う^^;)。

 そして、読後気づいたのですが、もしかして、聖書の部分は、全部手入力ですか!?なんてなんて大変なことをっ。肩が凝りそうです。最初から飛ばしすぎないで下さいませ~(とはいえ楽しいんですが)。

菜食主義に牛肉、豚肉、魚介類が駄目と聞くと、自分なんかは「ああ、なんて窮屈なんだ。とても美味しいのにもったいない」とツイツイ思ってしまうんですが、彼らにとって極々普通のことで、特に努力の意識もないんでしょうね。
煙草止める前は、止めるのが勿体無くてしょうがなかったのが、止めてしまうと特に何ともないと感じるのと同じかもしれませんね。
自分と価値観が違う人と接するときや考えるとき、変に可哀想とか思い込まないようにしないといけないなと、ふと思いました。

はなぶささん

コメントありがとうございます。

リスとウシの話に関して思い出したことがあります。

ずいぶん前ですが、捕鯨反対を唱える有名な平和団体(おそらく皆さんも知っていると思う…)がタイム誌に特別広告を載せたことがあります。それは、「クジラは非常に知性的な動物であるのに、日本人はクジラを食べている。この野蛮な行為を止めさせよう!」ということを世界へ訴える内容のものでした。

この広告をたまたま私といっしょに読んだインド人のマニシャンカさんが怒りました。「クジラが知性があるなら、ウシだって知性がある。それなのに欧米人はウシを食べるじゃないか!」

彼によると、インドでは乳製品を作るために多くの家庭で牛を放し飼いで飼っているのだそうです。それらの牛は自ら日中、牧草を求めて何キロも歩くそうですが、夕方になると道に迷うことなくちゃんと家に帰ってくるそうです。だから、クジラと同様に牛も知性があるとのことでした。

クジラはだめでウシは食べられるために神によって造られたというのは、彼らの宗教の押し売りであるとマニシャンカさんは言っていました。

そしてマニシャンカさんはさらにこう言いました。

インド人は一切の動物を食べないけど、他の食文化の違う国民を非難することはしない。それは宗教の押し売りであり、それは絶対にやってはならないルール違反だからとのこと。

たしかに、ヨーロッパでは宗教戦争(カトリックVSプロテスタント)を何度か経験して、お互いの信教の自由を認め合おうというルールができました。なぜかというと、宗教戦争は他の領土問題などの戦争と違って、「ここらへんでお互いに手を打とう!」といった終わりがないのです。際限なく異教徒である敵をつぶすまで続いちゃうんです。宗教戦争はヨーロッパの人口が激減してしまうほど悲惨なものでした。

そこで中世ヨーロッパでは近代の民主主義につながる「信教の自由は侵すべからず」という暗黙のルールができたのです。「朕は国家なり」と言った絶対王権の時代ですら、王様は国民の信教の自由を認めたんです。信教の自由を犯すと、終わりのない殺戮が始まってしまうことを恐れたんです。

マニさんがおっしゃる相手の食物規範を批判することは慎重にしたいものですね。

>相手の食物規範を批判することは慎重にしたいものですね。

スミマセン。当時は素朴な疑問として、相手に投げかけたつもりだったんですけど、そういう歴史的背景にも配慮しなければいけなかったんですね~。
(でも、彼女はそんなの当たり前でしょう、っていう感じで、別にoffendedな様子はありませんでした。念のため)

>avyaktaさん
ありがとうございました。
>肉には屠殺される時の動物の感情(恐怖、怒り、何故自分がこんな目にあうのかという疑問?)が残されているので、その肉を食べるとそういった感情の影響を受ける、とされています。

何となくわかる気がします。
屠殺されるときの恐怖が全身に影響を及ぼさないはずがないですものね。(実際にお肉は化学変化を起こしているんじゃないかと思います)
それから、育てられているときの感情も関係あるような気がしてます。たとえば、暗い養鶏場で、自分の体の大きさしかないオリの中でひたすら卵を産み続けていた鶏さんのお肉はどうなんだろう、みたいな。
Fit for Lifeは、また違った視点からのアプローチでしたが、かなり説得力がありました。人間がお肉をメインにいただくのは、やっぱり無理がありそうです。

神のご意思で家畜を食べ続けているアメリカ人は、本当に健康になれたのかな?

はなぶささん

あっ、いえ、べつにはなぶささんのことを言ったわけではありません(汗)。あくまでも●▲ー■ピースの人たちに対して言ったのです。はなぶささんのおっしゃられ方はジョークの範囲以内で、悪意もありませんし、ぜんぜん問題ありませんです。

たしかに、神のご意思で家畜を食べ続けて、アメリカ人は健康になれたのでしょうか?

avyaktaさん

再度のコメントありがとうございます。

>肉には屠殺される時の動物の感情(恐怖、怒り、何故自分がこんな目にあうのかという疑問?)が残されている

なんとなくわかるような気がします。

かつて同じマニシャンカさんがこう言っていました。

「かいちゃん、一度自分でニワトリやブタを殺して、解体して料理してごらん。食べ物に対する見方が変わるよ。」

現代社会では屠殺現場を隠し、食肉はほとんどが加工されているので、あたかもハンバーガーやウインナーは、最初からハンバーガーであり、ウインナーであるように思えてきてしまいます。そこには「殺す」という意識はまったくありません。もし自分自身で殺すことを経験すると、殺されるものの気持ちがわかり、けっして食べ残すなどということはできなくなると思います。いや、むしろ食べられなくなるかもしれませんね。

avyaktaさん

またまたコメントありがとうございます。

大変失礼しました! 

孔子の弟子で食べられちゃったのは、顔回ではなく子路でした。

中島敦ってあの漢文調の文章を書く作家ですよね?中学校の国語の教科書で、たしか「名人伝」という小説を読まされました。めちゃくちゃ漢字が難しくて、内容がよくわからなかった記憶があります。

彼の作品に、孔子の弟子について書かれた小説があるのは知りませんでした。

中国では人食いの習慣があったのです。「史記」などにはたくさん例がでてくるようです。漢の高祖・劉邦は人肉が好きで、項羽へは礼をつくしたようですが、それ以外の打ち破った名高い大将、武将はみんな食べちゃったようです。

昔の中国ではたとえば船が難破して、なにも食べるものがなくなった場合は、食べられる順番なども決まっていたようです。

はい、巻末のレビ記、申命記は手入力です。けっこう時間がかかりました。どうしても読者の皆さんに、聖書の英語は読みやすいということを知ってもらいたかったからです。日本の文語で書かれているものより、英語版の方が内容がストレートに頭に入ってきます。

タクトさん

毎回コメントありがとうございます。

>彼らにとって極々普通のことで、特に努力の意識もないんでしょうね。

それがそうでもないんです。

以前、パキスタンから来たイスラム教徒の顧客と食事に行ったとき、彼らもやっぱり自由にお酒や、コーランで禁じられている食べ物を食べてみたい気持ちはあると言っていました。特にお酒は禁じられているので現世では飲めないのですが、はやく天国へ行って飲んでみたいという気持ちが強いようです。

私はお酒が好きなので、イスラムの国へ行ったときは地獄でした。たった一本のビールを注文するのにパスポートを提示し、一時間くらい待たされてやっと出てきたビールの生暖かいこと。つくづく戒律のない日本のありがたさがわかります!

はじめまして マクロビアンの右京と申します。
秋から宗教についてお教えくださるとのことで
楽しみにしておりました。
ROM専で申し訳ありません^^;
どうぞよろしくお願いいたします。

ところで、キリスト教自体には食べ物の規約はありませんが、
カトリックには大斎小斎がありますね。
まあ、償いと克己で代替することもできるわけで、
それでいいのかって思っちゃいますけど^^

あ、ナイルさんは私が日本で一番好きなカレー屋さんでございます~。
しばらく行っていないので、とても懐かしく読ませていただきました。

右京さん

はじめまして。

こちらこそよろしくお願いいたします。と、言っても、右京さんのお名前は、avyaktaさんのブログでよく拝見しておりましたので、はじめましてという感じはありませんが(笑)。

>カトリックには大斎小斎がありますね。

カトリックでは斎戒があるのですか。知りませんでした。聖書の中には斎戒をせよ!という規範はありませんので、おそらくカトリック教会独自の教義のひとつなのでしょうね。

カトリックだけに限らず、多くの宗教で斎戒を取り入れています。しかし、その目的はそれぞれの宗教によって多少違うようですよ。

イスラム教では、ラマダンという断食月があります。これは身を清めるというよりも、食べられることの喜びを再度知るということと、弱者へのいたわりを知らしめるためアッラーがコーランの中でイスラム教徒に課した義務の一つです。イスラム教徒全員がこのラマダンに参加することにより、貧者から富める者まですべてのイスラム教徒がアッラーの前では平等であり、ひとつの世界を共有しているという連帯感が生まれます。この強烈な連帯感がイスラム教の醍醐味の一つです。

かたやインドの仏教、ヒンズー教、ヨーガ(厳密には宗教ではない)では、断食はべつの意味を持っています。インドの精神世界では、人間は大別して、body(肉体), mind(頭脳), ego(我), awareness(意識)の四つから構成されていると考えています。すべての人間の苦しみは、我があるからだと考えています。この我をいかに取り払うかという方法の一つに断食があります。断食をすることによって、飢えに苦しむ自己の身体を冷静に第三者として目撃(witness)すること。そうすることによって自己の意識が我や肉体と別だということに気付くそうです。

>ナイルさんは私が日本で一番好きなカレー屋さんでございます。

そうですか!ナイルに行かれたことがあるんですね。有名なお店のわりには、こじんまりとしていますが、とてもおいしいですよね! 私自身はナイルの方が好きだったのですが、私のパートナーだったマニシャンカさんは、スペースがゆったりしていて落ち着いて話ができるからということで、アショーカへよく連れて行かされました。アショーカはちょっと高いんですよね…(汗)。

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