2008年6月 1日 (日)

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硫黄島の遺産・その2

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本日は硫黄島を通して、アメリカ国民というのはどういう人たちかをお話します。

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硫黄島で日本軍とアメリカ軍が戦ったことを知っている日本人はわずかばかり。ほとんどの人たちは硫黄島の存在すら知りません。若い人たちの中には、硫黄島が韓国か台湾の島だと思っている人たちもいます。

硫黄島…。

アメリカ国民はこの言葉を聞くと、思わず背筋を伸ばし厳粛な気持ちになるそうです。

日本国民はすっかり硫黄島を忘れてしまいましたが、アメリカ国民は硫黄島をけっして忘れることはありません。

その一例を挙げましょう。

もし、皆さんの周りにアメリカ人がいれば、こう質問をしてみて下さい。

「あなたが今まで見た戦争写真で、もっとも感銘を受けたものは何ですか?」

ほとんどのアメリカ人がこう答えます。

「それは、硫黄島の星条旗です。」

彼らが言う「硫黄島の星条旗」という写真は、アメリカ海兵隊が硫黄島に上陸して四日目に、すり鉢という小高い山の頂に、六人の兵士が星条旗を立てた瞬間を写した写真です。

この星条旗を立てた兵士6名のうち、わずか3名しか生きてアメリカに帰れませんでした。硫黄島の戦闘の激しさがわかりますよね。

この写真がアメリカ国内で新聞紙上で報道された時、数百万人のアメリカ国民が釘付けになったと言います。この写真を見たアメリカ人は、いつ、どこで、どのような状況で見たかということまで詳細に覚えているとか。あたかも日本国民が、いつ、どこで、終戦の玉音放送を聞いたかを覚えているというのと似ていますよね。それほどこの写真はアメリカ国民に感銘を与えたんです。そして今なお、太平洋戦争を経験していない世代のアメリカ国民に感銘を与え続けています。

すっかり硫黄島を忘れてしまった日本国民。今なお硫黄島と聞くと厳粛な気分になるアメリカ国民。

このような違いがなぜ起こるか、理由がわかりますか?

それは、日本国民とアメリカ国民では、戦争と軍人に対する考え方がまったく違うからなんです。

日本の場合、戦争はまったくの悪なんです。戦争さえなければ平和であり続けると信じています。だから過去の戦争はあやまちであり、はやく忘れたい過去なんです。

アメリカの場合はどうかと言うと、戦争があるから平和や民主主義が保たれると考えています。そりゃ、彼らも戦争は嫌です。極力戦争はしたくない。でも戦争がなければ、平和も民主主義もあり得ない。

彼らにとって戦争は必要悪なんです。

必要悪だといっても、誰でも戦場で戦いたくないですよね。命を失うかもしれませんから。

だから、彼らは平和や民主主義を守るために戦ってくれる軍人に名誉を与えるんです。

名誉とは何か知ってますか?

名誉とは、感謝と敬意を表すことです。

彼らが硫黄島と聞くと、厳粛な気持ちになるのは、この戦いで3万人の海兵隊員が死傷したからです。一箇所の戦いでこれほどの死傷者が出たのは、ゲティスバーグの戦い(死傷者5万人)以来のことです。彼らは硫黄島で亡くなった多くの海兵隊員たちの勇気とその犠牲に対して、強い尊敬と感謝の念を覚えるから、厳粛な気持ちになるのです。

ゲティスバーグと言えば、彼らはゲティスバーグの戦いも忘れません。

南北戦争の中で最大の戦いが行われたゲティスバーグでは、毎年、南北の統一のために戦って亡くなられた兵士たちのために慰霊祭が行われます。その時、戦死した兵士たち一人ひとりの名前を読み上げ、アメリカ国民は感謝と彼らの勇気に敬意を表します。

ゲティスバーグの戦いが行われたのは、140年前ですよ!

驚くべきことです!

アメリカ国民は、140年前の兵士一人ひとりに名誉を与え、そして彼らを忘れまいとしているのです。

日本じゃ考えられませんよね~。

140年前というと、日清・日露戦争よりずっと前です。戊辰戦争のころです。

日本の新しい夜明けのために、この戊辰戦争で亡くなられたサムライ兵士たちのために、今の日本人が厳粛な気持ちになって、慰霊祭をおこなうということはまずないでしょう。

皆さんが映画やCNNで見て、知っているつもりになっているアメリカ国民って、本当はこういう人たちなんですよ。日本人とまったく違うでしょう!

アメリカ国民は、軍人に対して、敬意と感謝(名誉)を表すことをけっして忘れない人たちなんです。

特に、危険を顧みず、勇敢な行為を行い、名誉勲章(medal of honor)を贈られた軍人に対しては、特別に名誉を与え、永く忘れないように努力するんですよ。

最近の名誉勲章を受けた人では、マイケル・モンスーア(Michael Monsoor)海兵隊員の例があります。

2006年、9月29日、モンスーア海兵隊員は、イラクでアルカイダの掃討作戦に参加していました。

その日、モンスーア海兵隊員は、他の仲間6人(米国海兵隊員3名とイラク兵士3名)と、援護射撃をするため、近くの建物の屋上に配備されていました。

その時、モンスーア隊員の胸に、ポンっと何かが当たって、コロコロと屋根の上をころがりました。

それは手榴弾でした。

こんな時、皆さんならどうします?

普通だったら、その場から、ダッと離れて地面に伏せますよね。

彼はそうしませんでした。

モンスーア隊員は、逆にその手榴弾を追っかけて行って、その上に覆いかぶさったんです。

当然、彼の体の下で手榴弾は爆発し、彼は即死でした。

なぜ、彼がそのような行動をとっさに取ったのか?

6人の仲間が手榴弾の周りにいたからなんです。

彼は自分の命と引き換えに、仲間6名の兵士の命を救う道を選んだんです。

後日、モンスーア兵士の勇気を讃え、名誉勲章授与式がホワイトハウスで行われました。

ブッシュ大統領は、彼の両親に、"America owes you a debt that can never be repaid(アメリカはけっしてお返しすることのできない恩をあなた方から受けました)!" と言って、涙で顔をくしゃくしゃにしながら名誉勲章を手渡しました。これは全米にも放送され、アメリカ国民もモンスーア兵士のために泣きました。そして、アメリカ国民は2006年9月29日をマイケルの日と定め、永く彼に対する名誉を忘れないように決意しました。

アメリカ国民は勇敢な兵士には最大限の名誉を与えるのです。

皆さんの馴染みのある例をもう一つ。

いま、アメリカでは、ヒラリーさんとオバマさんの民主党大統領候補者選びが終盤を迎えていますよね。これは、民主党ではなく、すでに大統領候補者の権利を獲得した共和党のジョン・マケイン氏についての話です。

ニューズウィーク誌のワールド・ビューというコラムを書いているジャーナリストで、ファリード・ザカリア(Fareed Zakaria)という人がいます。

ザカリア氏は辛らつな批判をする人なんです。民主党の大統領候補であるヒラリー女史やオバマ氏などは皮肉を込めて痛烈に批判をします。

でも、ジョン・マケイン氏を批判する時には、ちょっと違った書き方をします。5月5日号のニューズウィーク誌では、彼はジョン・マケイン氏を批判する際に、このような前置きを書きました。

"I write this with sadness because I greatly admire John McCain, a man of intelligence, honor and enormous personal and political courage. But …(私は、知的な人であり、名誉のある人であり、かつ個人的および政治家として勇気があるジョン・マケイン氏を尊敬しているので、これを書くのは悲しいのですが…)"

また、タイム誌やニューズウィーク誌の読者の投書欄も同様です。一般読者がマケイン氏を批判する前には、ほとんどの人が、「マケイン氏は名誉ある人で、個人的には尊敬していますが、しかし…」って、書き方をします。

なぜ、みんな、マケイン氏に気を遣うか知っていますか?

実は、マケイン氏は元軍人で、しかもベトナム戦争の英雄だからです。

1970年、ベトナム戦争に参戦していたマケインは、操縦していた航空機が撃ち落され、南ベトナムで捕虜となります。彼は航空機から脱出の際に負傷したのですが、病院に入れられることなく、ハノイの刑務所に送られて拷問を受け、なんども生死の境をさ迷いました。その後、南ベトナムは彼が海軍大将の息子であることを知り、南ベトナムが人道国家であることをピーアールするために、マケイン氏を釈放しようとしました。

ところが、マケイン氏は釈放を拒否。この時に彼が言った言葉が、有名な "First in, first out(最初に捕まった捕虜を最初に解放すべし)" でした。そして、彼はその後も拷問に耐え続け、ベトナム戦争終了のパリ協定で釈放されるまで、5年間の捕虜生活を送りました。

5年間の捕虜生活で、彼の髪は白くなり、両腕は肩より上に上がらなくなってしまったとか。すさまじい拷問だったんですね。それでもその拷問に屈しなかったマケイン氏の不屈の闘志と精神力の強さに、アメリカ国民は尊敬の念を抱いているのです。だから彼らがマケイン氏を批判するときは、ちょっと前置きをするんですよ。

話が少し逸れてしまいましたが、類まれな勇気のある行為に対しては、アメリカ国民はこの様に敬意と感謝を表します。

それをもっとも表したものが、名誉勲章なのです。軍人にとって最高の名誉であり、めったに取れるものではありません。

ところが、この硫黄島ではゴロゴロと名誉勲章を贈られた兵士が続出しました。

第二次世界大戦の4年間に、87個の名誉勲章が贈られました。そのうち28個の名誉勲章が硫黄島のたった一箇月の戦いで出たのです。三分の一にあたる数です。

先ほど、「硫黄島の星条旗」の写真の話をしましたが、現在この写真をもとに、国立アーリントン墓地の入り口に、星条旗を立てる6人の海兵隊員の彫刻が飾られています。その台座のところに、合衆国太平洋艦隊の司令長官だったチェスター・ニミッツの言葉が刻まれています。

"Uncommon Valor was a Common Virtue (硫黄島で戦ったアメリカ海兵隊員にとって、非凡な剛勇が平凡な美徳であった)."

勇猛果敢で知られるアメリカ海兵隊が、名誉勲章に値する勇敢な行為が普通になるほどの勇気を出さなければ、硫黄島は落とせなかったのです。

それほどすさまじい戦いだったということです。

ここまでお話しすると、アメリカ国民がどういう人たちか理解いただけたので、彼らにとって硫黄島がどのような存在かおわかりいただけたかと思います。硫黄島は彼らにとって神聖な聖地になっているのです。アメリカ国民は、硫黄島と聞くと、自然に背筋を伸ばし、厳粛な気分になってしまうのがわかるでしょう。

アメリカ国民というのは不思議な連中です。

彼らが勇敢な軍人に敬意を表すのは自国の兵士だけではありません。

なんと!日本兵に対しても敬意を表すのです。

アメリカ国民は、日本兵が硫黄島で水も食料もなく、灼熱地獄の穴倉で耐えながら、戦っていたことを後から知り、日本兵の精神力の強さに底知れぬ恐怖を感じました。そして、日本とは二度と戦いたくない…って、思ったんですね。

ところが、それと同時に、彼らは硫黄島で戦った日本兵に対して、尊敬の念も持ったのです。

硫黄島で負傷し米軍捕虜となった大越晴則さんは、サンフランシスコ、シカゴ、ハワイなどの捕虜収容所を経て、昭和22年に復員しました。彼は硫黄島で戦った時、まだ17歳でした。ところが、彼がイオウトウ・ソルジャーとわかると、どの収容所でもアメリカ軍人から一目置かれたと言います。「イオウトウ・ソルジャーとカミカゼ・ソルジャーは別だ!」って言われたそうです。

やはり、捕虜となった石井周治さんは、サンフランシスコの収容所での経験を次のように回想しています。

 ある日のことでした。ガードの一人が、「オマエは一体どこで捕虜になったのか?」

 と聞くので、

 「硫黄島で…」

 と答えると、ガードは一瞬ハッとするように顔色を変えて銃を持ち直した。我々の方が逆にびっくりした。(『硫黄島に生きる』より)

恐怖と尊敬の入り混じった複雑な心境…。それが当時のアメリカ国民が硫黄島の日本兵に持つ感情だったのです。

今でも、アメリカ軍人は、硫黄島の生き残りの元日本兵に会うと、相手がどんなにヨボヨボであろうとも、襟を正して直立不動の姿勢で敬意を表すそうです。

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硫黄島を通して、アメリカ国民がどういう人たちかを語りましたが、戦争や軍人に対する感覚が日本と相当違うことがお分かりになりましたでしょうか?

最後に、もし、皆さんの周りにアメリカ人がいたら、このように質問してみてください。

「太平洋戦争で、もっともアメリカを苦しめ、それゆえアメリカ人からもっとも尊敬されている日本の軍人はだれですか?」

山本五十六や東条英機ではありませんよ。

おそらく、こう答える人が多いと思います。

ジェネラル・クリバヤシ…。

彼らがジェネラル・クリバヤシというのは、栗林忠道という軍人です。

栗林忠道中将は硫黄島で日本軍の指揮を取り、アメリカとの陸海空の物量的差にもかかわらず、奇跡の戦いを起こした人です。

ほとんどの日本人は、栗林忠道という名前を知らないだろうな…。

この人はアメリカでは、名将十傑に選ばれている人で、特に軍関係者から尊敬を受けている人なんです。

栗林忠道中将は、残念ながら日本人にはすっかり忘れられてしまいましたが、今なおアメリカ人のこころの中で、偉大な軍人として生き続けています。

次回は、この硫黄島の最高司令官・栗林忠道中将についてお話したいと思います。

ちょっと、いや、かなり右翼っぽくなっていますが、ご興味のある方は、keep in touch with をお願いします。

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あとがき)

文中にも書きましたが、軍人に名誉を与えるとは、敬意と感謝を表すことなんです。

この名誉を軍人に与えることは、アメリカだけでなく、どのこの国でも行っています。誰でも戦場で戦いたくないものです。その嫌な仕事をしてくれるのが軍人なんです。だからどこの国でも国民は感謝と敬意を軍人に払います。

日本だけが軍人に名誉を与えません。

かつて小泉純一郎首相が、「靖国には心ならずも戦争に行って亡くなられた方がいるので、その御霊を慰めるために」、と言って、靖国神社を訪問しました。この時、生きている英霊とも言える、小野田寛郎さんが怒りました。「心ならずもとは何事か!」

小野田さん曰く、

「ボクは嫌々戦場に行ったんじゃない。愛する日本を守るために自ら進んで戦場に行ったんです。もし、そこで死んだとしたら、死ぬ気で死んでいったんです!」

亡くなられた兵士を哀れむことが慰霊ではありません。感謝と敬意を表すことが彼らの慰霊になるんです。名誉を与えることなんです。

自衛隊も同じです。彼らにも名誉を与えるべきではないでしょうか。

彼らがサマーワで任務を終えて帰国したとき、反戦市民団体が憲法違反のデモを行い、TVのレポータは茶化したような報道をしました。

日本で迎えた自衛隊の家族は、「父親が、夫が、命を賭けて任務を遂行してきたのに…」って、悔し涙を流したそうです。

軍人がなぜ命を賭けて戦えるか。皆さんは考えたことがありますか?

名誉があるからなんです。軍人は名誉のために死ぬんですよ!!!

名誉を与えない日本の自衛隊が、有事の際に、果たして私たちのために命を賭けて戦ってくれるかどうか、甚だ疑問です…。

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2008年5月25日 (日)

硫黄島の遺産・その1

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1989年2月23日の夜、私は会社の同僚と新橋のガード下で、お酒を飲んでいました。

読者の皆さんはお上品な方が多いでしょうから、新橋のガード下の飲み屋街なんて行ったことがないかもしれませんね。屋台が連なっており、料金が安いので、私のような貧乏サラリーマンなどが行きます。ちょっと人生の悲哀を感じるような飲み屋街なんです。

その日は小雨混じりの天気で、とても寒い日でした。コートを羽織ったまま二人で焼き鳥をつまみに、熱燗を飲んでいました。

なぜ、2月23日なんて日時を正確に覚えているかというと、翌日が大葬の礼がとりおこなわれる日だったからです。

若い人たちは記憶がないかもしれませんが、1989年の1月7日に昭和天皇が崩御され、2月24日に大葬の礼(天皇陛下のお葬式)が行われたんです。世界127ヵ国の元首が出席しました。アメリカ合衆国の大統領・ブッシュパパ、フランス大統領のミッテラン、イギリスのエジンバラ公など、世界中のMVP(ん、VIPだっけ?)が集まったのは、この時だけです。

2月24日は公休日となり、テレビのメディアはコマーシャルを自主規制し、日本国民はすべてその日は喪に服したのです。

いわば2月23日は、昭和という時代が幕をおろす直前の日だったのです。

本来であれば、さっさと帰宅して喪に服さなければならないのに、ノー天気な我々は、「明日は休みだから、ちょっと飲みに行っちゃおうか!」ってなノリで、新橋のガード下の飲み屋街に繰り出したのでした。(不謹慎ですよね。)

さすがに、翌日は大葬の礼が行われるとあって、屋台の飲み屋街は人通りも少なく、閑散としていました。そんなうら寂しい飲み屋街で我々が飲んでいると、

「御いっしょさせてもらっていいですか?」

と、一人の男性が声をかけてきました。

振り返ると、なんと!外人。

友人は英語はしゃべれないし、当時私も30歳から英語のやり直しをしたばかりで、英会話には自信がありませんでした。だからちょっとドギマギしちゃいましたが、この外人は日本語が堪能だったので安心しました。

「どうぞ、どうぞ」ということで、新橋のガード下には似つかわしくない外人を含めた三人組が屋台でお酒を飲み始めました。

彼はドイツのジャーナリストで、大葬の礼を報道するために日本に来たということでした。

彼はむかし日本の大学に留学しており、そのころ彼の友達とよく新橋のガード下に飲みに来ていたそうです。この日も報道クルーと最終打ち合わせをしたあとに、彼が宿泊していたホテルが新橋に近かったので、なつかしいガード下に来てみたとのことでした。

彼は日本語が堪能だけでなく、日本の歴史もよく知っていました。

彼は日本の昭和という時代を語り始めました。

日本は第二次世界大戦で、ドイツを裏切らずに最後まで同盟国であったことを感謝しておいると言いました。

そして、日本の戦後について、彼は驚くべきことを言いました。

「日本は太平洋戦争で、ひょっとしたらアメリカに勝ったんではないだろうか?」

私は、「なぜ、そう思うの?」と、訊きました。

彼の話を総合するとこういうことでした。

通常、戦争が終わると、戦勝国と敗戦国のあいだで、講和条約が結ばれますが、その条約の条件は敗戦国にとって不利なものとなります。戦勝国は敗戦国に対して、賠償を要求し、領土の割譲を求めるのが普通です。

ところが、日本とアメリカの戦後の取り決めを見ると、どれもこれもアメリカに不利なものばかりで、敗戦国は日本ではなく、アメリカに思えてしまうということでした。

戦後、アメリカは日米安保条約を結び、一方的に日本を守ることを約束しました。そのため日本は軍備にお金をかけることなく、経済に専念することができました。またアメリカは日本に対して賠償金を要求することなく、それどころか日本を特恵国とする特別な法律を作り、日本から優先的に輸入することによって、日本の経済支援をしました。

同じ軍事同盟を結んでいる韓国は大変だったそうです。

朝鮮戦争はもとより、ベトナム戦争のときも、韓国軍は刈りだされて、アメリカ軍といっしょにベトコンと血みどろの戦いをしなければなりませんでした。朝鮮戦争のときも、ベトナム戦争のときも、日本は何をしていたかというと、ぬくぬくと戦争特需を受けて経済活動に専念していたのです。

その結果どうなったか?

日本は短期間で経済復興を成し遂げ、一時国民一人当たりのGNPがアメリカを抜き、世界第一の経済大国になったのです。

また、アメリカは占領した沖縄を返還しました。

未だかつて歴史上、戦争で得た領土を自主的に戦勝国が返還した例はないそうです。アメリカが日本に対して気を遣っているように見えますよね。

これらを総合すると、彼にはどうしても、太平洋戦争でアメリカが日本に勝ったと思えないということでした。

私はこのドイツ人に教えてもらうまで、安保条約が日本に有利な条約だと考えたことがありませんでした。

私が小学校の低学年のころに、安保改定騒動があり、「アンポ!ハンタイ!」のシュプレヒコールが日本国中鳴り響いていました。だから安保条約というのは、不平等条約と思っていましたし、安保改定をした岸信介は極悪人だと思っていました。たしか、岸信介が首相を辞任した数日後に、暴漢に襲われてナイフで刺された時は、「ざま~見ろ!当然の報いだ!」ってな雰囲気が世間にあったように記憶しています。

たぶん、このブログを読んでいる読者の皆さんの中にも、安保条約が不平等条約だと思われている人たちが多いのではないでしょうか。

これ、安保条約を読んだことがないからなんですね。

もし私たちがこのドイツ人のように、ちゃんと安保条約を読むと、安保条約が日本にとって有利な条約であることがわかります。極東地域で国際紛争が起きた場合は、アメリカは軍隊を出して日本を守ることが義務付けられています。それに対して日本は憲法の範囲以内で協力するだけです。アメリカがどこかの国から侵略を受けても、日本はアメリカに軍隊を送らなくっていいんです。一方向なんです。アメリカがテロに攻撃されても、本来日本は軍隊を出す義務はないんですよ。(現在の海上給油やサマワへの自衛隊派遣はお付き合いでしているだけで安保条約とは関係ありません。念のため。)

言い方を変えると、安保条約は逆不平等条約になっているんです。アメリカにとって不利な条約なんです。

なぜ、アメリカは安保条約という不利な条約を結び、そして日本を経済援助したのでしょうか?

ドイツ人ジャーナリストだけでなく、普通に考えると誰でも不思議に思いますよね。

これ、後年いろいろな本を読んで、理由がわかりました。

硫黄島の戦いがあったからなんです。

硫黄島…。

ほとんどの日本人が硫黄島の戦いを忘れてしまいました。若い人の中には、硫黄島を韓国の島だと思っている人もいるとか。

アメリカ人は硫黄島をぜったに忘れません。硫黄島と聞くと、アメリカ人は思わず背筋を伸ばし、厳粛な気分になるそうです。

硫黄島の住所は、東京都小笠原郡硫黄島。れっきとした東京都内です。

周囲は22キロと小さな島ですが、この小さな島で、かつてない激しい地上戦が行われました。

なぜ、この島で激戦が行われたかというと、硫黄島がグアムと東京を結ぶ直線上の中間点にあったからです。グアムにはB29という大型爆撃機がありましたが、東京を空襲するには、グアムー東京間の3000キロという距離は長すぎました。どうしても中間拠点が必要だったのです。だからどうしてもアメリカは硫黄島を取る必要がありました。

それまで、アメリカはアッツ、タラワ、キスカ、グアム、サイパン、テニアンといった島を次々に落としてきました。だいたい5日から2週間くらいで日本兵は玉砕しました。

これまでだと、上陸時に激しい戦闘がありますが、いったんアメリカ軍が上陸すると、その夜に日本軍は「バンザイ」突撃を仕掛けて、玉砕するのがパターンでした。

アメリカは硫黄島の補給路をすでに断っていました。

日本軍には食料も弾薬もほとんどないことを知っていました。それに比べて、アメリカ軍は食料も豊富にあり、戦車もあり、また海上からの砲撃や空からの空爆もできました。アメリカ軍の戦力は日本軍をはるかに超えていました。

だからアメリカはこれまで落としてきた島々より簡単に硫黄島を落とせると思っていました。せいぜい5日くらいで日本兵はバンザイ突撃をして全滅するだろう安易に考えていたのです。

日本軍二万人に対して、アメリカは五個師団(約十万人)を硫黄島に送り込み、三個師団(約六万人)を上陸させました。

圧倒的な人数ですよね。

ところが、これまでのパターンと違い、硫黄島の日本兵はバンザイ突撃を仕掛けてきませんでした。

替わりに、硫黄島の日本兵は地下道を掘り、組織的なゲリラ戦で36日間にわたって接近戦を挑みました。

その結果、日本人二万人の死傷者に対し、アメリカはそれを上回る三万人の死傷者を出してしまったのです。

アメリカ国民は戦慄しました。

硫黄島のアメリカ軍の死傷者数は、第二次世界大戦の史上最大の作戦と言われたノルマンジー上陸戦をはるかに越えるものでした。アメリカが一箇所の戦いでこれほどまでの被害を出したのは、南北戦争のゲティスバーグ以来のことだったんです。

だから、日本兵はなんて強いんだ!って、アメリカ国民は恐怖を感じたんです。

彼らは戦争を研究する国民です。日本軍が玉砕した後に、硫黄島を隈なく調べました。

そして日本兵がどのような状態で戦っていたかが徐々にわかってくるにつれて、さらに恐ろしくなって震えが止まらなくなっちゃったんです。

硫黄島はその名の通り、島全体が火山の上にある島です。したがって地下の中は40度から50度くらいの温度があります。

しかも硫黄島には川がありません。

飲料水は雨による貯水に頼るしかないのですが、地上戦が始まってからは外に出て行くことができないので、ほとんど水なしの状態で戦わなくてはならなくなってしまったのです。

アメリカ兵が近づいてくると、日本兵は突然穴から出て行ってゲリラ戦を仕掛けるのですが、それまで日本兵はほとんど水も食料もなく、高温の穴倉に隠れてじっとしているんですよ。

このつらさがわかりますか?

特に水がないことほど苦しいものはありません。しかも穴の中は高温多湿。水なし食い物なしでウェット・サウナに入っていることを想像して下さい。普通だったら気が狂っちゃいますよ。それこそ破れかぶれで、「バンザイ」突撃をしたくなっちゃうと思いませんか?

でも、日本兵はそれに耐え、戦い抜いたんです。

すごい精神力だと思いませんか?

硫黄島から生還したアメリカ兵も日本兵も、「この世の地獄だった」って言います。

でも、アメリカ兵と日本兵では、地獄の意味が違うんです。

アメリカ兵の地獄は仲間が次々と死んでいくことでしたが、日本兵の地獄は生きることだったんです。

それほど渇水がつらかったんです。

でも彼らは「バンザイ」突撃をしませんでした。彼らは、潔い死を死ぬよりも、生きる地獄を選んだんです。

なぜだかわかりますか?

彼らは自分たちが戦っている間は、日本に空爆は行われないと信じていたからなんです。

自分たちが生きている間は、お年寄りや女性たち、そして子供たちが空襲を受けて、逃げ惑い、死ぬようなことが起きないと思っていたからなんです。

愛する家族が住む日本を守りたい!って、彼らはひたすら願っていました。

だから、潔い死を死ぬよりも、地獄の生を生き、できるだけ長くアメリカ軍と戦おうと決心したんです。

そして日本兵は36日間も戦い抜きました。戦場で倒れた日本兵はほとんどミイラのようにやせ細っていたそうです。

その結果どうなったか。

アメリカ国民は日本兵の精神力の強さに、底知れぬ恐怖を感じたのです。そしてこう思いました。

二度と日本とは戦いたくない…。

硫黄島の兵士たちがアメリカ国民にこう思わせたから、戦後、アメリカは日本に軍隊を持たせず、安保条約によって一方的に日本を守ることを約束したのです。スターリンが北海道を占領させてほしいと言ってきた時も、アメリカはこんな強い日本国民の一部を東側に取られるなんてとんでもない!ってことで、拒否しました。だから日本は朝鮮やドイツのように分断されずに済みました。また、貧困からヒトラーのような独裁者が現れるのを恐れたため、アメリカは日本に対する賠償金を要求することを諦め、逆に日本を特恵国とする法律を作り、優先的にアメリカに日本製品を輸入することによって、日本を経済援助しました。

朝鮮戦争やベトナム戦争が起きても、アメリカは日本に対して出兵を要求しませんでした。あの強い日本軍が復活することを恐れたためです。

あれも、これも、それも、すべて硫黄島で日本兵が地獄を生きて戦ってくれたおかげです。

だから、今の日本の繁栄は硫黄島で玉砕した日本兵二万人の犠牲の上になりたっているのです。

米国太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツは、硫黄島と同様にペリリュー島の地下壕を構築して戦い、そして玉砕していった日本兵を讃えるために、島に碑を建てました。

そこにはこのように碑文が刻まれています。

   「諸国から訪れる旅人たちよ、

   この島を守るために日本軍人が

   いかに勇敢な愛国心をもって戦い

   そして玉砕したかを伝えれよ」

これは、硫黄島の兵士たちにもあてはまります。

硫黄島にはまだ日本に帰って来れない一万体の御柱が洞窟の中に横たわっているんですよ!

日本人はアメリカ国民のように、硫黄島で戦われた日本兵士たちへの敬意と感謝をけっして忘れるべきではありません。

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あとがき)

硫黄島の戦いは戦後の日本の原点なのです。

それにもかかわらず、学校の教科書では硫黄島の話は出てきません。あったとしてもほとんどが反日史観から、その悲惨さばかりを強調して、硫黄島の兵士たちがどのよう気持ちで戦い、そして彼らの成し遂げた歴史的業績を教えません。だから、日本人は硫黄島の兵士に感謝することもなく、どんどんと硫黄島を忘れていきます。

端的な例が硫黄島の呼び名です。

ほとんどの日本人が硫黄島の呼び名すら忘れてしまいたした。

おそらくこのブログを読んでいる読者も、硫黄島を「イオウジマ」と読んでいると思います。

これ、間違いです。

硫黄島の正式名称は、「イオウトウ」です。

戦前に硫黄島に住んでいた住民も、硫黄島で戦った兵士も、そして当時の日本国民も「イオウトウ」と呼んでいました。なぜ、「イオウジマ」というようになったかというと、アメリカ軍にいた日系アメリカ兵の通訳が間違えて、「イオウジマ」と訳してしまったからです。ところが、戦後日本人は硫黄島を忘れてしまったため、アメリカ人が発音する「イオウジマ」が正しい呼び名だと勘違いしてしまったのです。

このブログ記事を書いている時でさえ、パソコン画面に硫黄島と書こうと思うと、「イオウジマ」とローマ字入力しないと硫黄島という漢字が出てきません。「イオウトウ」では登録されていません。それほど日本人は「イオウジマ」が正しい呼び名だと思い込んじゃってるんです。

これからは、正しく歴史を見直すために、次回から皆さんだけでも正しい呼び名、「イオウトウ」と読んで下さいね。

本日は硫黄島の戦いの概要を簡単にお話しましたが、次回はもう少し詳しくこの硫黄島の戦いを見ていきたいと思います。

to be continued です。

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2008年2月25日 (月)

ゴジラ 対 キングギドラ

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前回、ジョン・ロックの社会契約説についてお話した。

ロックの社会契約説はアメリカ合衆国を誕生させ、ヨーロッパではフランス革命を導いた。その後ロックの思想は世界中を席巻し、現在世界で民主主義を標榜する国々は、その憲法の中にロックの社会契約説を取り入れていないものはないと言っていいだろう。それほどロックの社会契約説は世界を変えたのである。

ところが、この社会契約説を最初に唱えたのはジョン・ロックではない。

彼よりも早く、十数年前に、すでに社会は人民が集まり契約によって成立したことを発見した人物がいたのである。

その人物とは、皆さんもご存知の、国家権力をリバイアサンと呼んだ、あのトーマス・ホッブズである。

ホッブズは、ロックと同様に自然人と自然状態からスタートして、社会ができるプロセスを考えたのであるが、ロックの描いた社会とはまったく異なった世界を造り出した。

ホッブズの社会契約説は民主主義の原理とはならなかったが、彼の社会契約説を知ることによって、現在の国際社会の問題点が浮き彫りになってくる。そこで本日は予定を変更して、ホッブズの考えた社会契約説をロックの社会契約説と対比しながらお話したいと思う。

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まず簡単にホッブズという人物を紹介しよう。

彼は1588年にイギリスで牧師の息子として生まれた。ロックより約40歳年長である。彼はロックより早くオックスフォード大学に進み、当時最高の哲学者であったフランシス・ベーコンのもとで学んだ。また学生時代にガリレオと親交があって、自然科学に興味を持ち、これがホッブズが社会を数学を解くように解明したいと考えたきっかけだった。

このことはロックが『ボイルの法則』で有名な科学者・ボイルに影響を受けて、社会を科学的に考えたいと思ったことと類似している。ホッブズとロックをもってして、社会学は社会科学となったのである。

それじゃ、ホッブズの社会契約説を見てみよう。

ホッブズは国家とは何かを解明するにあたり、彼も最初の人間はどのよう暮らしていたかを考えた。ロックとおなじ自然人から考え出したのである。ところがホッブズはロックほど最初の人間を抽象化しなかった。ホッブズが考えた自然人は原始時代に生きる人間である。彼らはジャングルの洞窟に群れをなして住んでいた。

そこに住む人間は知性持っている以外は他の動物と同じである。

動物にとってもっとも重要なことは何か。

それは生存するということである。

動物には生存本能が備わっている。動物は生き延びることのみに生きるといってもいいだろう。

動物が生存するためには、まず食料の確保が重要である。食べ物がなければ動物は生けていけない。だから、もし食料が限られた量しかないとすると、動物は血で血を洗うような闘争をする。

多くのねずみを一つのケージに入れて、食物を徐々に減らしていくと、まず若いねずみ同士が食物を求めて争いを始めるそうだ。だんだんとエスカレートしていって殺し合いを始める。

人間も同じである。

この時代に「お先にどうぞ」なんて遠慮していたら生き残れない。他人を押しのけてでも真っ先に食べ物を口に入れなければ死んでしまう。だからこのような状況では人間の知性なんてものは働かない。倫理や道徳といった善悪は二の次になる…そうホッブズは考えた。

ましてや、人間の場合には知能があるために、将来を予見する。

今日食べることができても、ひょっとしたら明日は食べられないかもしれない…。すると不安になって、明日の食料、明後日の食料というように確保しようとする。

ライオンのように、今日獲物にありつけたからといって満足しない。「明日は明日の風が吹く」という具合にいかないのが人間だ。

だから人間の欲望は無限大のように膨らんでいく。

その結果、どうなるか?

絶え間ない闘争と殺戮である。

ホッブズはこのことを、「万人の万人対する戦い」、「人間は人間に対してオオカミである」と表現した。このような状況においては、人間の人生は、孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、短いものにならざるを得ない。これがホッブズが考えた「自然状態」である。

この人々が欲望を満たすために互いに殺しあう内乱をホッブズはビヒモスと呼んだ。

ビヒモスとは聖書のヨブ記に出てくる恐ろしい怪物の名前である。ホッブズの考える自然状態はそれほど悲惨な状態であった。

やがてこの陰惨な自然状態を解消するために、人々は集まってお互いに暴力を振るうという権利を放棄する契約を結び社会を作ることにした。こうすればみんなが安心して暮らせる社会ができると思ったからだ。

ところがホッブズは人間は生来自己中心的で、ルールを作ったとしてもそれを守ることができないと考えた。いずれ誰かがそのルールを破ってしまう。そうすると緊張状態が崩れてまた内乱が起きてしまい、人々は殺し合いを再び始めてしまう。人間が作り上げた文明は破壊され、また原始時代にもどってしまう。

そこで人々は、人間社会を平和で安定したものにするためには、その契約のなかに絶対権力を持つ怪物、リバイアサンが必要だと感じたのである。

これが国家である。国家は絶対の権力を持ち、人々に強制的にルールを守らせる。守らない者がいれば国家権力がその者を逮捕し、処罰する。こうすることによって、文明が破壊される内乱の時代に逆戻りすることが防げるのである。

だからホッブズは、「文明破壊のビヒモスを止めることができるのは、リバイアサンしかいない」と考えた。

リバイアサンとはやはり聖書にでてくる無敵の怪物である。リバイアサンが強ければ、ビヒモスは恐れて姿を現さないだろうと、ホッブズは考えたのである。

碩学(せきがく・大学者のこと)、小室直樹博士は著書「日本人のための憲法言論」の中で、リバイアサンとビヒモスの関係を、ゴジラとキングギドラに例えて説明された。ゴジラも怖いけれど、キングギドラはもっと嫌でしょう。ゴジラにキングギドラを倒してもらうしかない、と述べられた。(小室先生も古いっすね~。せめてガメラ対ギャオスって言ってほしかった!)

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さて、ホッブズの社会契約説を述べたが、ロックの社会契約説とまったく違うことがおわかりになるだろうか。

ロックの社会契約説の復習も兼ねて、簡単に両者の論旨をもう一度まとめてみよう。

ロックの社会契約説では、社会ができる前の自然人は自由で平等であった。やがて勤勉な者と働かない者のあいだに貧富の差ができ、貧しい者は富める者を妬み、窃盗や強盗をするようになった。そこで人々は集まり、安心して暮らせる社会を作るために、人々の合意に基づいて政府を作った。だから国家の主権は国民にあり、国家の役割は人々の生命、財産および自由を守ることにある。また国家権力は肥大化し暴走する危険性があるので、人々は人民の代表を議会におくり、政府を監視しなければならない。もし、それでも国家権力が横暴を繰り返すようであれば、人々には契約を改廃する権利(抵抗権、革命権)がある。

ロックは、国家とは人民を守るためのものであり、それ以外の人民の生活や経済活動には干渉してはならない。政府の権限はできるだけ小さいほうが良いと考えた。

かたや、ホッブズは、自然状態とは闘争と殺戮の連続であり、人々はやがてお互いに暴力を振るわないという契約を結んだ。ところが人間は自己中心的な動物であるから、この契約は守られない。また悲惨な自然状態にもどってしまう。したがって人々は社会の中に絶対の権力を持つことに合意した。したがって国家の主権は国王にある。

ホッブズは、国家とは絶対の権力を持ち、人々に強制的にルールを守らせる存在であり、国家権力は強ければ強いほど良いと考えた。

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どうですか?驚いたでしょう。同じ自然人と自然状態からスタートして、社会は人々の合意によって作られたという以外は、両者の主張はまったく違ってしまったのである。

なぜ、これほどまでに両者の意見が分かれてしまったかというと、二つ理由がある。

ひとつは、ロックが考える人間とホッブズが考える人間の性質が異なるからである。

ホッブズは人間は利己的で、自己中心的に行動する。ルールを守ることはできない存在として考えた。ホッブズの理論は徹底した性悪説に基づいていた。人間は放っておくと悪いことばかりする。だから力ずくでもルールに従わせなければならない。

これに対し、ロックは人間には理性があり、約束はおおむね守られると考えた。ロックの思想は性善説に基づいていた。国家は若干のルール破りする人のみを逮捕して処罰すれば社会は安定する。だからむしろ国家権力が暴走することに気をつけたほうが良いと考えたのである。

もう一つの理由は、食物が有限かどうかということ。

ホッブズは食物の総量は限られていると考えた。だから将来を予測できる人間はその限られた食物を奪い合って殺しあうことになる。

ところが、ロックによると、人間には理性があり、他人を蹴落としてまで食物を確保することはない。たしかに自然の恵みだけに頼っていては、食物には限りがある。しかし、人間には知恵があり、もっと建設的である。

ロックは労働によって食物を増やすことができると言った。

自然界が与えてくれた小麦の種をすこし残しておき、森を切り開き、土を耕して畑をつくり、そこに種をまく。そうすることによって収穫期がくればもっと多くの小麦を得ることができる。だからロックは自然状態ではホッブズのような「人間は人間に対してオオカミ」になることはないと言った。

言われてみれば、皆さんは「な~んだ」って簡単に思われるかもしれない。

我々は現代社会に住んでいるので、ロックの話を聞いても驚かないのだ。

しかし、ロックの考えは当時としては画期的な考えだったのである。

労働によって食物を増やせるということは、別の言い方をすると、労働によって富は無限に増やすことができるということである。ところが、当時の常識では、富は有限であり、増やすことなどできないと思われていた。

そして富を生み出すのは土地である。

当時は誰でもそう思っていた。

だから中世の世界では、限られた土地をめぐって、争いがあちこちで起きていた。ホッブズのいう自然状態であったのである。

それに対して、ロックは労働によって富はいくらでも増える。土地にこだわらなくとも、衣服職人であればどんどん衣服を作ることによって、壷職人であれば壷をどんどん作ることによって、富を増やすことができる。働くことによって人間は豊かになれる。こうロックは言ったのである。

ロックは当時発生しつつあった資本主義に着目していた。

クリスチャンにとって金儲けは一抹の罪悪感があった。ロックは労働によって富を作り出すことは社会全体に貢献することであることを証明した。これによってお金儲けをすることの罪悪感が払拭されたのである。ロックの登場によって近代資本主義は理論的根拠を持つことができたということだ。だからロックは民主主義の父であり、資本主義の大恩人なのである。

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さて、その後の世界の歴史が証明するとおり、圧倒的に多くの人たちがロックの思想を信じたのである。ホッブズの「リバイアサン」は世界史を変えなかったが、ロックの「統治二論」は世界史を変えたのである。

だからホッブズの社会契約論は歴史の中に埋もれてしまうかに見えた。

ところが近年になり、ホッブズの社会契約論を理論的根拠にして、外交をおこなう集団が現れた。

新保守主義者(neo-conservatist)。いわゆるネオコンと呼ばれる人たちである。

ネオコンの代表的論客はロバート・ケイガンという人。この人はブッシュ大統領やラムズフェルド元国防長官らが師として仰ぐ人物である。

ロバート・ケイガンは、著書「楽園と力」の中で、ホッブズの社会契約論を取り上げ、国際社会において、リバイアサンになることこそがアメリカの役割であり、そのためには力を持たなければならないという。そして力の行使を畏れてはならない。ヨーロッパはその力の蓄積を怠ったがゆえに、結局アメリカに頼るしかなくなったのだ。ヨーロッパが国際機関の下で、「平和」というカント的世界に安住できるのは、アメリカがホッブズのいう「自然状態」に対処しているからだ、と。

読者の皆さんはどのように思われるだろうか?

アメリカはなんて傲慢な連中だと思う方も多いかもしれない。

でも、ケイガン氏の言うことも一理あるように思える。

ヨーロッパの例より、身近な例を挙げてみよう。

我々の日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した」とある。要するに日本国は周りの国々を信頼して、軍隊を持たず、日本の運命を周りの善良な国々に委ねますということだ。

日本を取り巻く国々とは、ロシア、中国、北朝鮮だ。

果たしてこれらの国々が、平和を愛する諸国民と考えて良いのだろうか?彼らの公正と信義を信頼したから、戦後60年間、日本は侵略されることもなく、平和を享受してこれたのであろうか?

もしそう思っている方がいたら、かなりのお人好しだ。

日本が戦後60年、これらの国々から侵略されずにこれたのは、

ひとえに、「日米安保条約」があったからである。

国家とは公正と信義で動くわけではない。

国家とは国益という欲望で行動するのである。

だから国際政治の世界は、ホッブズのいう自然状態にある。国家は国家に対してオオカミなのだ。

三匹のオオカミの目の前に、おいしそうなヒツジが一匹いても、オオカミたちが襲わなかったのは、ヒツジの後ろにいるアメリカというリバイアサンを怖れていたからだ。

我々日本人が戦後60年、平和を享受できたのは、アメリカというリバイアサンが存在していたからなのである。

護憲を唱える社民党や共産党の人たちは、安保条約に反対しているが、よほどのお人好しなんだろうな~って思うのはオジサンだけだろうか?

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国連があるから大丈夫って思っている人もいるかもしれないので、ちょっと国連の話もしておこう。

国連ときくと、ほとんどの日本人は多くの国が集まって、民主的に物事を解決していく平和的な国際機関と思っているのではないだろうか。

だから、参院選では日米同盟の強化を前面に打ち出した小泉政権や安倍政権より、国連中心主義を訴えた民主党に多くの票が投じられたのかもしれない。

でも国連ってそんなに頼りになる国際機関なのだろうか?

皆さんは国連とは第二次世界大戦の戦勝国が集まってできた軍事同盟ということをご存知か?

国際連合とは、戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国)が、強大な敵国を封じ込めるために作った軍事同盟なのである。

その強大な敵国とは、日本、ドイツ、イタリアだ。

特に日本とドイツはあまりにも強かった。ドイツは軍事大国であったイギリス、フランス、ソ連の3国と同時に戦っても、連戦連勝だった。日本は東南アジアで世界最強の海軍を持っていると思われていたイギリスに海上戦で連勝し、またアメリカをもってして、「二度と日本と戦いたくない…」と、恐怖させるほど強かった。

これらの恐ろしい国を封じ込めるために作られた軍事同盟が国際連合なのである。

国連憲章にはいまでも敵国条項というのがあって、この3国には国連決議を経ずに、いつでも単独で軍事制裁を加えることができるようになっている。理論的にはこの敵国条項を理由に、国連加盟国は任意に日本を攻撃することができるのである。

この戦勝国の軍事同盟に多くの国々が相乗りしたのが現在の国際連合である。

だから戦勝5カ国は常任理事国と呼ばれ、強い権限が与えられているのだ。

何かの問題解決のために国連決議が行われても、これらの常任理事国の一カ国でも拒否権を発動すれば、それらの決議に基づく行動は起こせない。それほど常任理事国には強い権限が与えられている。

ところがこの常任理事国の拒否権がわざわいして、国際連合は機能していないのが現状だ。

終戦直後は戦勝5カ国の利害が一致していたので、かつては国連決議がスムーズに行われたが、冷戦が起きてからはなにも重要な決定が行われなくなってしまった。

もし北朝鮮が追い詰められて日本に軍事侵攻したとしても、国連が平和維持軍を投入して日本を救いに来てくれる可能性はほとんどゼロだ。なぜかというと中国やロシアは北朝鮮を弟のように思っており、平和維持軍を日本におくる国連決議が行われても、いずれかの国が拒否権を発動する。

核開発を進めるイランに経済制裁をかける動議を出しても、ロシアは核の技術供与をしているので、これまたロシアの拒否権発動でオジャン。

常任理事国のそれぞれの国益が優先され、ほとんど重要なことが決定できず、まとまりのないのが国際連合だ。国連中心主義なんてチャンチャラおかしい。

読者の皆さんは、そもそも中国やロシアがいまだに常任理事国として強い発言権があることを不公正に思わないだろうか?

国連維持費を加盟国が分担しているが、負担額はそれぞれの国の経済事情に合わせて、異なっている。日本は国連維持費をもっとも負担している国だ。アメリカを除く、ロシア、中国、イギリス、フランスの四カ国の負担金を合わせても、日本の方が多く負担しているのである。またODA援助はアメリカについで日本は第二位の援助国だ。中国などはいまだに日本からODA援助を受けている。

ここで皆さん、アルビン・トフラー氏の「パワーシフト」を思い出してほしい。

権力とは、時代の変遷とともに、その重要性が、暴力→財力→知力 という具合に移行していく。

はっきり言って、ロシア、中国、フランスは経済力も技術力もない二流または三流の国家である。本来、権力を持っていてはいけない国なのだ。

だから、ロシア、中国、フランスは国際連合の常任理事国からはずれ、財力と知力を持った日本が常任理事国入りするべきなのである。

何年か前に日本の常任理事国入りを認めるかどうかの加盟国の投票が行われたが、ロシアと中国の妨害で認められなかった。中国などは日本からのODAをアフリカの国々へ回す約束をして、彼らに日本の常任理事国入りに反対票を投ずるように運動までしていたのである。こんなバカなことがあるだろうか。

その時点で日本は国際連合の脱退を表明するべきだったと思う。

ちょっといいすぎでしょうか…。

でも、オジサンよりもっとすごいことを考えていた日本の政治家がいたのである。

その政治家は、将来、アメリカといっしょに、もはやシーラカンスとなってしまった国連をさっさと脱退し、新しい「第二国連」を作ろうと考えていた。アメリカといっしょに国連を脱退し、あたらしい第二国連を作って、「新しい国連に入る国、この指と~まれ!」って声をかけたら、130カ国は集まるだろうと計算もしていた。世界一の経済大国と世界第二位の経済大国が組めば、国連発足当初と同様に、当然、寄らば大樹の陰って感じで、多くの国々が加盟するだろう。

既成概念に捕らわれない自由な発想をする政治家。すごいと思わないか。

この政治家とは誰でしょうか。

前総理の安倍晋三氏である。

安倍氏は国家の自立をもっとも重要視した政治家であった。

この第二国連構想は彼の政治公約にしていなかったが、彼の腹のなかで将来実行するつもりだったようだ。日下公人さんという評論家が、安倍氏の官房長官時代に、外交問題研究会で安倍氏と会話したときに話しを聞いたそうだ。日下氏は安倍晋三氏の卓越した外交センスの良さに感心していた。

彼が最後の最後まで日米同盟にこだわっていた理由がわかるでしょう。

残念ながら、マスコミは安倍氏の政治的な業績を評価せず、彼の「アラ」ばかりを報道して、国民を誘導し、先の参院選で安倍氏を殺してしまった。まことに残念なことだった。

今日はこの辺にしておきましょうか?

これ以上書いたら、「オジサンはやっぱり右翼だったんだ!」って思われちゃうから。

えっ、もう思っているって。困った…(汗)。

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あとがき)

う~ん、だんだんと過激になってきちゃいましたね。反省しています。

次回は前回予告した歴史教育についてひとこと言わせて下さい。あまり過激なことを言わないようにしますから、見捨てずにまた読んでね。じゃ、ばいばい。

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参考文献

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日本人のための憲法言論

パワーシフト

統治論

美しい国へ

戦え、日本人

アメリカにたよらなくても大丈夫な日本へ

中国こそ日本に謝罪するべき9つの理由

捏造された昭和史

2008年1月13日 (日)

17世紀に身を置き18世紀を支配した人

アメリカでは毎年と言っていいほど、銃の乱射による事件が後を立たない。

昨年の4月にバージニア工科大学で起きた銃による乱射では、32人もの教員や学生たちが殺された。また今から8年前に起きたコロラド州立高校の銃乱射を覚えている読者も多いだろう。

大規模な乱射事件が起きるたびに、アメリカ国内では銃の規制を立法化しようという声が上がるが、いつのまにかそれらの運動が中途半端に終わってしまう。

「アメリカ人ってなんて野蛮な人種なんだ!」って思われる読者も多いだろう。あるいは銃規制に反対する全米ライフル協会は、「なんて力のある圧力団体なんだ!」って思われている読者もいるかもしれない。

ところが、この銃規制が進展しない本当の理由はもっと別のところにある。

このことを知っている日本人って案外少ないのではないだろうか。

アメリカが銃規制を断行できない理由は、銃規制が民主主義の根幹にかかわる問題だからなのである。

「えっ!なんで平和な民主主義が銃と関係あるの???」って思われる読者も多いと思う。

そう思われて当然である。というのは、

我々日本人が学校で教わってきた民主主義と、アメリカ国民が学校で学んできた民主主義がまったく違うからなのである。

端的に言うと我々日本人に見える民主主義の風景とアメリカ国民に見えている民主主義の風景が違うのである。

ちょっとむつかしいと思うので、たとえをつかって説明しよう。

たとえば、健康。

我々は健康というと、あたかも健康という「物」が存在しているように考えがちであるが、健康という「物」が存在しているわけではない。

健康をどのようなものであるかという捕らえ方、考え方なのである。

健康の見方には二通りあると思う。

一つは外側から見た健康。

顔色が良く、元気ハツラツで、ご飯もおいしく食べられる。身体のどこにも痛くはなく、自由に動かすことができる。このような状態を外から見て、健康の存在を実感する人もいるであろう。いわば外面から見た健康である。

これと同様に、日本人は外側から見た「状態」として民主主義をとらえる。

憲法が存在し、司法、行政、立法の三権に権力が分離され、普通選挙が行われて、、国民が選んだ人たちによって国会で法律が作られていれば、民主主義の国家であると日本人は考える。

もう一つの見方は、内側から見た健康である。

健康というのは、外側から見ただけではわからない。元気ハツラツで顔色も良く、ご飯もおいしく食べられたとしても、ひょっとしたら身体の内側では、脂肪が内臓にびっしりとへばり付き、高血圧で、血はドロドロになっているかもしれない。こんな状態であれば、けっして健康とは言えないだろう。適度な運動をして節制をこころがけ、適度な体重を維持し、体内では血がサラサラに流れて、はじめて健康と言える。その結果として、外側からみた血色の良さや、元気ハツラツで、おいしく何でも食べられるということなのである。

アメリカ国民の民主主義の見方はこれに近い。

アメリカ国民は民主主義を内側から見る教育を受けてきているのである。それはずばり言うと、民主主義の精神を学ぶということである。

アメリカ国民は民主主義の精神が国民一人ひとりに行き渡り、各個人がそれにしたがって行動することにより、はじめて健全な民主主義の社会が実現されると思っている。

彼らはその結果として、憲法や三権分立や議会政治があると考えているのである。

だからアメリカ国民は、議会のシステムや憲法、選挙制度といったことを学ぶ前に、民主主義のバックボーンにある思想や、民主主義社会にいたる歴史といったことを学ぶことがより重要だと思っている。

日本の民主主義とアメリカ合衆国の民主主義は表面上は似ているが、アメリカ国民にはあるべき姿の民主主義の風景が我々日本人とはまったく違って見えているのである。銃規制ひとつをとっても、日本人とアメリカ国民の民主主義の考え方が違うのは当然のことなのかもしれない。

我々日本人は高校生のころに、倫理社会(いまはこう言わないのかな?)で、日本国憲法や国会のシステム、三権分立の制度などを学ぶ。わずか5~6時間の授業でこれらのことを学習し、これが民主主義のすべてだと思っている。

片やアメリカ国民は、民主主義の精神がすべての国民に行き渡らせなければならないと思っている。だから彼らは小さい頃から歴史の中から民主主義の思想の変遷を教え、民主主義の精神を心の奥深くに植え込もうとする。

アメリカ国民が学校で子供たちに費(つい)やす民主主義教育の時間は日本の比ではない。

オジサンのブログ記事「歯止め」でも紹介したが、アメリカ国民は子供たちが幼稚園にあがる年齢になると、民主主義の思想が凝縮されているリンカーンのゲティスバーグの演説や、トーマス・ジェファーソンの独立宣言書などを暗唱させられる。そして高校生になるまで、ヨーロッパの民主主義にいたる歴史や、独立戦争における歴史を徹底的に繰り返し教えるのである。そうすることによって子供たちに民主主義の精神を注入していく。

アメリカ国民は、国民一人ひとりに民主主義の精神が根付くことによって、民主主義社会が健全に維持されていくと考えているのだ。

アメリカの大学には初等科の数学のコースがあるという。

大学に入学したばかりの生徒の中には簡単な代数の計算すらできない学生がいる。初等科の数学コースはそれを補うためのカリキュラムである。アメリカでは小学校、中学校、高校の算数や読み書きの時間を削ってでも、この民主主義の歴史を教えるためにこのような学力不足の生徒たちがでてきてしまうからだ。それくらい彼らは民主主義教育に時間をかけるのである。

以前、「徘徊する怪物」というオジサンのブログ記事に、アノーピさんというアメリカに在住の日本人の方からコメントをいただいたことがあった。アノーピさんにはハイスクールに通う息子さんがおり、息子さんは三権分立を提唱したモンテスキューの「法の精神」を学校の授業で読んでいるとおっしゃっていた。

日本ではモンテスキューは、「モンテスキュー」 → 「法の精神」 → 「三権分立」 という具合に、言葉の連想ゲーム的程度にしか学校で教えないと思う。「法の精神」を読ませる学校はほとんどないのではないだろうか。そんなに詳しくつっこんだら、日本では広く浅く知識を求められる穴埋め形式の大学入学試験に合格しなくなってしまうからだ。

アノーピさんがおっしゃるには、息子さんの民主主義教育はそれだけではない。民主主義の重要性を学ぶために、第二次世界大戦で命をかけて戦い、民主主義を守り抜いた退役軍人の慰問もしていると教えていただいた。このようにアメリカでは、日本では考えられないような膨大な時間をかけて、歴史の中から子供たちに民主主義の精神を教えるのである。

これはオジサンの経験からであるが、不思議なことに我々日本人であっても、彼らのように民主主義を民主主義の精神の中でとらえるようにすると、民主主義というものがまったく違って見えてくるのである。

このような民主主義の捕らえ方をすると、銃規制の問題だけでなくアメリカという国がいま世界でどのようなことをしようとしているかが見えてくる。それだけではない。今日本で起きている不祥事などが、実は民主主義の根底を揺るがす重大な問題であることがわかってくる。現在の日本は憲法を持ち、三権分立がなされ、議会政治が行われており、表面上は民主主義国家のように見えるが、実際には内側に流れる血液はドロドロで、内臓には脂肪がびっしり張り付いて、メタボリック症候群に陥っていることに気付くはずだ。

そこで本日は、みなさんといっしょに、アメリカ国民と同じように民主主義を民主主義の精神の中で見ていきたいと思う。

これによっておそらく皆さんにもアメリカ国民と同じ民主主義の風景が見えてくるだろうと思う。

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民主主義の精神がもっとも発揮された時代は、偉大なジョージ・ワシントンと建国の父たちが起こしたアメリカ独立戦争のときである。

だからアメリカ国民はこの時代の歴史を学校で何度となく繰り返し教わるのである。

このころのヨーロッパの国々の王様は強大な権力を持っており、絶対主義と呼ばれた時代であった。17世紀のイギリスの政治哲学者、トーマス・ホッブズはこの権力を聖書のヨブ記にでてくる伝説の怪物、リバイアサンにたとえるほど、当時の王様は強大な権力を持っていた。アメリカ13州はこの強大な権力を持っていた王様から独立を勝ち取ったのである。

民主主義の精神とはなにかをお話する前に、予備知識として、中世の後半から近代の初期までのヨーロッパの歴史の中で、このリバイアサンとも言える強大な権力者がどのように登場してきたかを簡単におさらいしておこう。

えっ、歴史は苦手だって!

大丈夫。オジサンも高校生のころは暗記科目が苦手で、特に歴史は及第点ギリギリだった。

大学入試に合格するためには細かなことを知らなければならないかもしれないが、民主主義のバックボーンを知るためには、そのように重箱の隅をつっつく必要はない。大きな流れを物語のように覚えておけばそれで十分。

それでは中世後半から近代初期までの歴史の物語を語ろう。

ローマ帝国が崩壊したあとのヨーロッパは分裂し、封建領主といわれる非常に多くの権力者たちが群雄割拠していた。そしてその封建領主のためにヨーロッパの人口の九割以上を占める農奴と呼ばれる人たちが土地を耕して農作物を作っていた。

農奴という言葉は世界史の授業で聞いたことがあると思うが、ほとんどの人たちが、農奴とは単純に農業をする奴隷と思っているのではないだろうか。農奴と奴隷は同じではない。

ここでちょっとアメリカに存在した奴隷と中世ヨーロッパの農奴との違いを述べておこう。

実はこの違いがあとになって歴史の流れの中で大きな意味を持ってくるからだ。

アメリカにいた奴隷は家畜と同じだと見なされていた。

だから主人は奴隷たちを意のままに扱うことができた。必要なければ売り払っても良いし、処分しても良かった。1980年代に50%という驚異の高視聴率をあげたルーツというドラマがあった。著者アレックス・ヘイリー氏の自伝的小説をドラマ化したものであった。オジサンと同じ年代か、あるいはそれ以上の世代であれば覚えているかもしれない。アレックス・ヘイリー氏の先祖であるクンタキンテという黒人が、西アフリカで奴隷商人たちに拉致されアメリカに連れてこられ、ある農園主に売られた。クンタキンテはキンテ族の王子で誇り高き戦士であった。奴隷である身分に耐えられず何度か脱走を企てるがいずれも失敗してしまう。そして農園主はこれ以上逃亡を企てないように、クンタキンテの片方の足の甲を切り落としてしまったのだ。こうしてクンタキンテは自由になることを諦め、奴隷として農園で働かなければならなくなってしまった。

その後、クンタキンテは種の保存のために、同じ農園で働く奴隷の女性となかば強制的に結婚させられ、そして女の子が生まれた。こうして奴隷の身ではありながら、愛する妻と娘の3人の幸せな生活を送ることになった。ところがその幸せな生活も長くは続かなかった。娘が成長し働ける年頃になると、農園主はクンタキンテ夫婦から娘を引き離し、市場で売ってしまったのである。

「なんてひどいことを!」って、多くの皆さんは思われるかもしれない。

しかし当時のアメリカでは、このような人身売買を非人道的と思う人はほとんどいなかったのである。

奴隷は家畜として見なされ、人としての一切の権利を持っていなかったからだ。

生まれたばかりの子犬や子猫を親から引き離して、ペットショップで売る感覚だったのである。皆さんもペットショップで売られている子犬や子猫を見て、「かわいい!」って思うことはあっても、「親から引き離されてかわいそう!」とは思わないでしょう。この当時のアメリカも同じ。奴隷が市場で売られても、それを哀れに思う人たちはほとんどいなかったのである。(もっとも現在のアメリカの多くの州では動物虐待であるということで、生まれたばかりの子犬や子猫を親から離してペットショップで販売することは禁じられている。いずれ近い将来に日本でも動物愛護の観点から子犬や子猫のペットショップ販売は禁止されるかもしれないが…)

ヨーロッパの農奴たちも不自由な身分であった。

土地に縛り付けられていたのである。

「お隣の封建領主様の方がやさしい!」からっていって、農奴たちは勝手に他の土地に行って働くことは認められていなかった。アメリカの奴隷たちと同様に農奴は封建領主の所有物であったのである。

ところがヨーロッパの農奴たちにはいくつかの権利が認められていた。

そのひとつは家族をばら売りされないということだった。

アメリカ開拓時代の奴隷にとってもっともつらいことは、愛する家族を引き離されることであった。だから南北戦争後、奴隷たちが悲惨な境遇(奴隷解放宣言のあとでも、元奴隷の地位向上政策は20世紀になるまで行われなかったため)の中で、彼らがまっさきにやったことは引き離された家族を捜し出すことであった。。

それに比べると、ヨーロッパの農奴たちは恵まれていた。

ヨーロッパの農奴たちはあくまで土地とセットと考えられていたので、封建領主であっても農奴たちの家族をばら売りすることはできなかったのである。もし封建領主がどうしても農奴を他の領主へ売らなけれっばならない場合は、土地と農奴の家族をセットで売らなければならなかった。

また、農奴たちは地代として収穫物の何割を封建領主に納めるというように決められていたので、残った収穫物を農奴たちは自由に処分することができた。

アメリカのまったく不自由な奴隷と違い、このように農奴たちには上記の権利が認められていたのであるが、このことがいずれヨーロッパの歴史を動かしていく要因の一つとなるので、こころに留めておこう。

さて、話しを封建領主にもどそう。

非常に多くの封建領主たちは限られたヨーロッパという土地の中でひしめき合っていたいたため、封建領主たち同士の争いごとが絶えなかった。

「隣の封建領主のところの家畜がオレのところの牧草を食べちゃう!」、「隣の封建領主のところを流れる川を堰き止めたので、オレのところに水が流れてこない!」なんて問題が起きていた。

ところがそれらの問題を仲裁してくれる人がいないので、即、実力行使にでたため、しょっちゅう戦争があちこちで起きていた。

そこで封建領主たちは彼らの中で力のある人を仲裁役として選ぶようになってきた。これがいずれ王様となり、封建領主は貴族となって王国を形成して行ったのである。

王様というと、皆さんは非常に強い権力を持った人と思われるかもしれないが、中世の王様はとても弱い立場にあった。ホッブズが言ったリバイアサンからはかけ離れた存在であった。なぜかというと、もともと王様は強い武力で周りの封建領主たちを力ずくでねじ伏せて王様になったわけではない。封建領主たちの中でちょっと大きめな荘園を持っている人が王様として選ばれたからだ。いわば村の庄屋さんのような立場であった。

王様と領主たちは主従関係を結ぶのであるが、この王様と家来の関係は、日本の戦国時代や江戸時代の殿様と家来の関係とは違っていた。

ヨーロッパの王様と家来である領主たちの関係は契約に基づいていた。

日本人の感覚からするとちょっと奇妙に思えるかもしれない。

彼らは詳細に記した契約書を作った。

たとえば、税金としての年貢は出来高の何割とか、戦争になったときは何人の兵隊を出すとか、こと細かに規定されていた。

だから、王様がお隣の王国と戦争をして、「あとちょっと家来が多く兵隊を出してくれれば勝てるのに~!」って思っても、契約以上の人数の兵隊を家来たちに要求することができなかった。あるいは王様の娘が結婚するので、「豪勢な結婚式をしてあげたいのだけど、家来たちはもうちょっと税金を払ってくれないかな~」って思っても、契約以上の税金を徴収することはできなかったのである。このように王様の権力は限られたものであった。

ところで王様と家来の関係が契約によると聞くと、「中世の時代の主従関係はずいぶんドライだったんだなぁ」って思う人がいるかもしれない。

しかし彼らの契約は必ず守られたということを記憶しておこう。

中世ヨーロッパには騎士道というものがあった。この騎士道とは契約によって決められたことはきっちりと履行するということである。ある意味では日本の武士道より信頼できるものかもしれない。

たとえばあだ討ち。

王様と家来の契約にあだ討ち条項があれば、王様が何者かに殺害されたとき、家来は必ずあだ討ちをおこなったのである。それに比べて日本では、戦国時代に主君を裏切って敵方につくことは日常茶飯事だった。日本の歴史上主君のあだ討ちをした例はわずかに二つ。忠臣蔵の赤穂浪士たちと織田信長のあだを討った豊富秀吉だけである。肉親のあだ討ちは数多くあったが、主君のあだをうつことは非常にめずらしいので後世に語り継がれる美談となった。

だから中世の主従関係は契約によって成り立っていたが、けっして希薄な関係ではなかったのである。

余談になるが、この契約という概念はじつは聖書からきている。

キリスト教の聖書をいままで読んだことがない読者の方たちは、聖書には人生の示唆に富んだ話や、愛に満ちた心やすらぐお話といった、ありがた~い言葉が書かれていると思っているのではないだろうか。

それはまったくの誤解である。

聖書は神様と人間の契約書なのである。

旧約聖書、新約聖書の「約」とは、契約のことを表している。旧訳聖書、新訳聖書ではないことにご注意。

特に旧約聖書の中ではこと細かに、神様が人間たちにしなければならないことを預言者を通して書いているのである。「出エジプト記」、「申命記」、「レビ記」といった章を読んでいただければわかるのであるが、祭壇の寸法から着る物、普段の生活の仕方から食べ物にいたるまで、やっていいこととやってはならないことを神様はビックリするくらい詳細に規定している。神様との契約とは、それらの言いつけを守れば神様は永遠の繁栄を保証してくれるが、その言いつけを守らない場合は、罰則として、一族の滅亡をもたらすというものである。

旧約聖書にはとくに古代イスラエルの民が神様との契約を破ったため、悲惨な歴史を歩まなければならなかったことが、これでもかこれでもかというくらいに書かれている。そのためヨーロッパの人々には、契約を守らないとどんなに恐ろしいことが起こるということが脳裏に焼きついたのである。

だからヨーロッパでは、単に人間同士の間に契約の概念が広がっただけでなく、

契約は絶対に守られなければならない、

という契約の絶対性が根付いたのである。そしてこの契約の絶対性が近代にはいって資本主義を生み出す土壌になっていくのである。このことはいずれ宗教ブログに戻したときにまたくわしくお話したいと思う。

さて、中世の王様と家来の関係はこのように契約に基づいた関係で、王様であっても強い権力を持っていなかった。

しかもこの時代のヨーロッパには伝統主義というものがあった。これは過去の習慣、風習は良くても悪くても、かならず守られなければならないというものである。このころになると、王様と貴族たちは定期的な会合を持っていた。これが後に議会となっていくわけであるが、そこでは新しい法律を作るわけでなく、過去の習慣や風習を確認しあう場で、法律は歴史の中から発見するものであったのである。だから当時の王様は会合(議会)でいつも貴族の不満と伝統主義の板ばさみに苦しんでいた。中世の王様はこのように中間管理職のような立場で、ホッブズがリバイアサンと呼んだ絶対的な権力を持つ王様とはかけ離れた存在だった。

ところが永遠に続くかと思われたこの中世の時代を、近代へ大きく動かす出来事がいくつか起きた。

ひとつは14世紀の中ごろに起きた黒死病(ペスト)の流行である。

黒死病は瞬(またた)く間にヨーロッパ中に広まり、多くの人々が死んだのである。この黒死病によりヨーロッパの人口の四分の一から三分の一が減ったと言われている。

この人口激減は結果として農奴の立場を強くすることになった。

封建領主たちは領地内で農奴が働いてくれないと食べていけないのであるが、農奴の人口が減ったため、農奴の機嫌を取らなければならなくなった。「少ない人数で悪いけど、もうちょっと残業して働いてくれないかな?」とかなんとかソフトに言って手なずけようとしたが、「じゃ、年貢の割合を下げろ!」って感じで、農奴たちは地代の引き下げなどを交渉し、相対的に封建領主たちの力は衰えていった。

もうひとつの出来事は11世紀ころから始まった数回の十字軍遠征である。

皆さんも学校の歴史で習ったと思うが、ヨーロッパ諸国はキリスト教の聖地であるエルサレムの奪還を目的に、トルコ帝国に軍隊を送り込んだのである。そこでヨーロッパ諸国が出会ったのはイスラム世界の圧倒的な文化の高さであった。もともと中近東にはギリシャ哲学が継承され、医学、数学、天文学などが発達していた。またトルコ帝国は世界貿易で栄えており、遠く中国の絹織物やインドの香辛料、あるいは美しい陶器などが持ち込まれていた。ヨーロッパ諸国の驚きは、あたかもブッシュマンがニューヨークへ来たときと同じ衝撃を受けたに違いない(この例えちょっ~と古いかな?)。そのようなわけで、十字軍が戦利品として持ち帰ったそれらの高い文化の品々はヨーロッパで珍重されたのである。

当然のことながらやがて、ヨーロッパの商人たちがアラブ諸国へ訪れるようになり、中東貿易が盛んになった。

そして貨幣経済が発達したのである。

この貨幣経済の発達は中世のヨーロッパを大きく変えることになった。

まずこの貨幣経済は、黒死病の流行により、相対的に立場の良くなった農奴たちに追い風となった。

いままで年貢を払ったあとの収穫物は、農奴たちが自由に処分できたのであるが、物々交換経済では、蓄積ができなかった(キャベツを蓄積しても腐っちゃうでしょう~♪)。貨幣経済の普及により農奴たちは貨幣によって富を蓄積することがはじめて可能となったのである。また農奴の中には商才に長けた者がいて、市場の価格が上がるまで待って農作物を売るようになり、大もうけをする農奴もいた。そして稼いだ貨幣を封建領主に渡して、自由になる農奴も現れてきた。

このようにして、封建領主たちは没落し、中世の封建制度が崩れていったのである。

この貨幣経済の発達によってもっとも恩恵を受けたのは王様だった。

もちろん王様も、元は封建領主のひとりであるので、黒死病の流行や貨幣経済による領土内の農奴たちの独立の被害をこうむった。しかしその損失を補ってなお有り余る恩恵があったのである。

それは貨幣経済の発達にともない財力を持った商人たちをバックに付けることが出来たからである。

当時は山賊や海賊がウヨウヨいた。

13世紀の後半にベネチアの商人マルコポーロは、法王の親善大使としてモンゴル帝国の皇帝フビライ・ハンを訪れた。17年間皇帝フビライに仕えたあと、マルコポーロがイタリアに戻るとき、フビライは黄金や絹織などの土産を持たせ、4艘の船と600人のクルーでマルコポーロを送り出した。

18ヵ月後にイタリアについたマルコポーロは悲惨なものであった。

帰路の途中で海賊や山賊に遭い、生き残った者はわずかに18人。黄金や絹織物はもとより、着ぐるみはがされ、乞食のようにボロ布をまとった状態でベネチアにやっとのことでたどり着けたのであった。

こんな具合に、ヨーロッパの商人たちは中近東への旅路で山賊や海賊の被害にあっていた。

封建領主たちは山賊や海賊を取り締まってはくれなかった。もともと封建領主たちは戦時中に雇う兵隊は、山賊や海賊出身者が多かったからだ。中世の軍隊は平時は山賊や海賊をして生計を立てていたのである。だから封建領主たちは最初から山賊や海賊を取り締まろうなんて思っていなかった。

そこでヨーロッパの商人たちは王様に保護を求めたのである。

「王様、どうぞ私たちの通商の安全を保障して下さい」とかなんとか言って、商人たちは王様にお金を献上した。

議会でいつも小うるさいことを言ってくる憎き封建領主たちが没落していく様を、「いい気味だ!」って思っていた王様は、この商人たちの申し出に飛びついた。

そして王様は商人たちの中東貿易の安全を守るために、商人たちから受けたお金で多くの兵隊を雇ったのである。

これが常備軍である。

当時の王様のみが財力を持った商人たちを味方につけ常備軍を持ったことの意義は大きい。これによって権力基盤が確固たるものになったからである。

皆さんも歴史の授業で「常備軍」という言葉は何度か聞いたことがあるでしょう。

でも、この常備軍を持つことの重要性は学校でくわしく習わなかったのではないだろうか。そこでもうちょっと常備軍を持つことの意義を補足しておこう。

常備軍を持つことの重要性は、織田信長の例を挙げればわかりやすいと思う

信長が戦国時代に天下を取れたのは、戦国武将で彼のみが常備軍を持ったからである。

中世のヨーロッパも日本の戦国時代も、富の源泉は土地だと思われていた。当時は通貨も流通していたが、多くの武士たちは農作物や米を生産できる土地をほしがった。だからお殿様は軍功のあった武将たちに土地を与え、武将たちは平時はその与えらた土地を耕して米などを作っていた。

戦国武将たちは百姓を兼務していたのである。

戦(いくさ)の時にのみ、クワやスキを刀にかえて出陣していた。

つまり当時の戦国武将たちは戦のプロとは言いがたかった。

これは勇猛で名高い武田軍も同じだった。

だから戦国大名たちは、戦功をあげた部下たちに与える土地を確保するために、つねに領土拡大に血眼になっていた。

そんな戦国大名たちの中で信長のみが土地にこだわらなかった。

彼は貨幣が将来、大きな富の源泉になることを見通していた。

そこで信長は商人たちを保護し、楽市、楽座の制度によってさかんに商業を奨励した。これによって貨幣経済が発達し、堺の町などは栄えたのである。

信長は豊富な財力を持った商人たちに献金させ、そのカネで軍隊のための兵士を雇ったのである。

信長の兵隊たちは土地を与えられたわけではないので、百姓仕事をする必要がなく、平時から戦の研究をし、かつ訓練をしていた。

つまり信長の持っていた軍隊はプロの軍隊だったのである。

プロとアマチュアの差は大きい。

このことを如実に証明したのが天下に最も近い戦国大名と言われていた今川義元との戦であった。

史上名高い「桶狭間の戦い」は、今川軍2万5千人に対し、信長軍はわずか数千人。

でも結果は、今川義元は首を取られ、信長軍の圧勝であった。

これほどまでにプロとアマの力の差は大きい。

人数的に十数倍の規模を持つ今川軍に信長が勝てた理由は、桶狭間で信長軍が今川軍に奇襲をかけたからだという説がある。それは歴史の事実かもしれないが、その背後にある歴史の真実をつかんでいない。信長の軍隊が平時に訓練をしているプロフェッショナルの集団であったからこそ、綿密な奇襲作戦を立て、迅速にそれを遂行できたと見るべきなのである。

社会人野球の優勝チームがプロ野球のどん尻のチーム(楽天?)と試合をしてもかなわないだろう。(たぶん…汗…野村監督頑張ってぇ~!!!)

中世の王様の軍隊も同じであった。

封建領主がそれまで雇っていた兵隊たちは、平時は百姓をしているか、あるいは山賊や海賊をしているならず者で、いざ戦(いくさ)になったときに統制が取れていなかった。それに比べて中世の王様の軍隊はプロフェッショナル。

王様の軍隊は封建領主たちが束になってもかなわない軍隊になったのである。

中世という時代に、商人たちの財力と圧倒的な軍事力を王様が手に入れたことは、大きな権力を手に入れたことを意味する。

ここでちょっと簡単に権力とは何かを補足しておこう。それによって当時の王様がどれほどの権力を持ったかがわかるからだ。

権力とは他者に対して支配し服従させる力を言う。

だからなにも権力とは国家のみが持つものではない。我々の日常にも権力は存在する。たとえば会社の上司は部下に対して業務に関し、支配し服従させることができるから、権力を持っていると言える。また親は小さな子供に対して親の言いつけとおりにさせることができるので、親は子供に対して権力を持っている。

それではこの他者を支配することのできる力の源泉はなにか?

このことを非常によく分析したのが、社会学者のアルビン・トフラー氏である。アルビン・トフラー氏によると、権力の源泉は3つに分けられるという。それをもっともよく説明しているのは三種の神器である。

三種の神器とは、テレビ、洗濯機、冷蔵庫のことではありませんぞ。それは日本の高度経済成長期の家電の三種の神器。念のため。

トフラー氏のいう三種の神器とは、本当の三種の神器。天皇家に代々伝わる三種の神器のことである。

天皇家の三種の神器とは、剣(つるぎ)、宝石、鏡のことである。

この三種の神器は、天皇陛下が崩御されるたびに、次の天皇陛下に譲り渡されるものである。昭和の天皇が崩御されたときも、宮中ですみやかに三種の神器の譲渡の儀式が行われ、平成の天皇へと受け継がれている。

実はこれはあまり日本人にも知られていないかもしれないが、この三種の神器は権力を象徴しているのである。つまり三種の神器の受け渡しは、崩御された天皇から次の天皇への権力の譲り渡しの儀式なのである。

三種の神器の剣、宝石、鏡はそれぞれ、物理的な力(暴力)、財